【第2816回】



歴史が示すところによれば、一流の学歴と、実践知やいまこの場での共通善を

見極める能力とのあいだには、ほとんど関係がない。

(中略)

ジョン・F・ケネディが輝かしい学歴の持ち主をかき集めてチームを結成しながら、

彼らがいかにして、そのテクノクラート的な優秀さにもかかわらず、

アメリカをヴェトナム戦争という愚行に導いてしまったのか



(p.134「実力も運のうち 能力主義は正義か?」

 マイケル・サンデル 早川書房 2020年)



驚くのは専門家という人でも


なにを学んだのか

分からないような

有様の人が多いことです。


とくに僕は人間理解として

心理学などの名著を

読み漁っていて、


このブログでも

何冊もテーマにしていますが


専門家が登場する

ドキュメンタリーなどを見ても


なぜ、本に書いていある

最低限のことも踏まえずに


治療をしているのか

理解に苦しむことがあります。


そして、当然ながら

何の解決にもならない


知識の一端を披露して

終わるだけなのです。


きちんと解決しているなら


僕の知らない真髄が

実践知にあるのかもしれない

と考えるところですが


解決していないので

単に短絡なだけと言えます。





他の分野でも

多くの類例がありますが


積み重ねの科学だけが

はっきりした

力になっているだけで


あとはパワハラする側と

パワハラされる側に分かれて


社会がバランスしている

に過ぎません。


積み重ねの科学とは


月にロケット飛ばしたり、

高層ビルを建てたり、

力のスポーツで競ったり


のようなものであって、

人間関係とは一線を画します。





ではなぜ、超一流が

短絡なミスをして


それをパワハラで

ごまかそうとするかというと


恐怖心があるからです。


自分の特権的地位から

絶対に降りたくないからです。


だからこそ、


簡単に分かる事でも

容易に納得しない態度


となって現れます。


諸悪の根源は

この恐怖心であって


「人より優位に立つ」


ということが

生存戦略となっている以上

変わりありません。


本来は、人と協力する

ということが


生存戦略となるべきですが


出し抜く人間であったり

手柄を主張する人間によって

破壊されるものです。


太古の民族的な価値観では

こうした人間は

コミュニティーを破壊するため


殺されてきたものですが

現代ではそうもいきません。


それが正しいかどうかではなく、


どのような方法があり得るか


現代的に考え抜く必要が

あるだろうと思います。


ご参考まで。