【第2807回】

 



時折、弘太郎さんを思い出すようになった。

「どうして(巻き込まれたのが)兄だったんだろう」

 2人兄妹だった。



(亡き兄の部屋、見つけた私の古い手紙 募る思い「どうして事件に」

 https://www.asahi.com/articles/ASQ6H46V4Q6GPTIL02F.html

 2022年6月16日朝日新聞)



大阪市北区のクリニックで

26人が犠牲になった

放火殺人事件、


その院長さんの親族の

話が引用です。


事件後に色んな

報道が出ましたが


院長に関する話は

患者さんから聞かれ


「尊敬」や「感謝」


というワードで

飾られていたと思います。


それ自体が悪いことなど

ありません。


ありませんが、


それが理由に標的にされた

可能性が高いのです。


かたや犯人は、前科持ちで、

家族から見放され、


就職もできずに

八方ふさがりになっています。


尊敬や感謝からは

真逆の人生と言えるでしょう。


もちろん、「身から出た錆」

と言うことは簡単ですが、


人生というのは

親からの愛情に始まり、


様々な環境因子で

全く違う様相を呈します。


だからこそ、社会全体で

救い出す仕組みや

相互扶助が必要なのです。


引用の事件は

それが機能していない


という事実を見せつけられた

と言えます。





では院長はどうすれば

良かったかと言うと、


患者が尊敬や感謝を

意識しないほどに


サポートとして

黒子に徹するべきだった

ということです。


自分自身で回復した

という自覚や自立心が


真の解決であって、


それが他人の力によるものだ

ということが

ことさら意識されるのは


依存心や自己の弱さを

克服したと言えません。


僕は過去のブログで


「嫌われる勇気」


というベストセラーに対して

ラストの締め方が


「先生に依存して

終わっただけ」


と評しましたが、

同じ意味です。


だからこそ、

二作目の「幸せになる勇気」

という本では


そのことを先生自ら

指摘して突き放し、


さらに深い議論に

進んでいます。





人生は難しいと思います。


感謝されることも

避けながら助けないと


逆恨みを自ら招くのです。


ヒーローであることを

そのまま受け取ることは

非常なリスクと言えましょう。


謙虚さでさえ、


それが見る人によっては

不遜さであったり、


人格者のように映って

妬まれます。


人格者だと思われた時点で

人格者ではないし、


謙虚だと思われた時点で

謙虚ではないのです。


傷つき、絶望した人間には

真逆に映ります。


社会に貢献したければ


傷ついて、

絶望した人間にこそ


信頼される

人間であるべきだし、


自分に対する本当の絶望は、


非常な怒りとなって

周囲を傷つけると

知っておく必要もあるでしょう。


それは一筋縄の哲学では

ありませんが、


日本のことわざには


たくさんそのヒントが

ちりばめられています。


ご参考まで。