【第2791回】




加藤は「間違ってはいけないのは、あだ名というものがダメなんじゃなくて、

相手が嫌がるあだ名というものがダメ。

ここを分けないと、平たくしてしまうと良いものも潰してしまう部分があるな

と僕は思う」と持論を展開した。



(加藤浩次 小学校の“さん付け”指導に持論

 「あだ名がダメなんじゃなくて、相手が嫌がるあだ名がダメ」

 https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/05/31/kiji/20220531s00041000264000c.html

 2022年5月31日スポニチ)




僕が小学生のころは

30年ほど前のことですが、


すでに、学校の先生から

「あだ名」禁止で、

「さん、君」付けを


教えられました。


担任の先生の個人的な

指導だったと思いますが、


クラスの仲が良かったことを

思い出します。


そして、僕が中学生のころ


仲良しの友達をあだ名で呼んで

楽しく会話していたのが、


そのあだ名が

本当は嫌だったらしく


突然、告げ口によって

 

先生から怒られた

記憶もあります。


もちろん、そのことを

当人にも謝って、


それ以降、当人が

一見して喜んでいるようでも


本当は嫌かもしれない


という気遣いを考えるように

なったものです。





なにがいいたいかって


僕の場合は友達が

意志を表明してくれたから

気づくことができましたが


表明がない場合、

ずっと苦しめていただろう


ということです。


「相手が嫌がるあだ名

というものがダメ」


と言ったって、


嫌がっていることに

気づけない

子供や大人がいます。


そういう意味で、

押し並べて禁止にする

べきだと思えます。


相手の気持ちに気づく

啓発として


「あだ名」を推奨する前に


弱い立場の人を傷つけて

押さえつけてしまう


環境の方から

考えてもいいでしょう。


美人の女の子が

ちやほやされたり、


背の大きい男の子が

恐れられたり、


そうした動物的な

反射の効果など


理解が必要なことは

言葉で伝えるべきです。


ご参考まで。