【第2783回】




男性の全存在は、精神的にも身体的にも女性を前提としている。

(中略)

彼が生まれ出る世界のフォルムは、潜在的なイメージとして、

すでに、彼に生得的にそなわっている。

(中略)

両親一般、女性一般、子供一般のイメージであって、個別的に定められたものではない。

(中略)

それらが内容を得、影響力を獲得し、意識にまで達するにはまず経験世界に出会って、

その無意識的な素地を揺り起こされねばならない。

それらは、ある意味で、祖先から脈々と受け継がれた経験の沈殿であるが、

しかし、これらの経験そのものではない。



(p.121「自我と無意識」C.G.ユング

 第三文明社 1928年)



いわゆる、ユング心理学の

「元型」と呼ばれる心理の

説明が引用です。


これらの確認は、

多くの人の夢分析の中で


同じタイプのものを

見出してきたことに

由来してます。


経験したはずではないのに

なぜ、多くの人の夢に

共通して現れるか


との問いに答えた

学説とも言えるでしょう。


そういう意味で、

母なる女性のイメージは


当然、赤ん坊にとって

必要な意識であって


それが男性にも確実に

備わった心理として

紹介されています。


このように考えると

釈迦が悟りを開いたと

思った時にみた


仏の像というものは


無意識に眠る母なる女性

だったに違いありません。


それは引用にあるように

固定的なイメージでは

ないからこそ


経験に無い姿を見て


仏として現れたと

驚いたのでしょう。


それ自体、何も

悪いことではありません。


自分の中に、先祖代々

受け継がれてきた


生きていくための思いが

湧きおこることは


愛を知る事と同義です。





現代ではこの意識上の

優先順位を


科学的合理性によって

歪めようとしています。


命の意義とは


無意識へと託された

永い人間の生の営み

そのものであって、


決して個人主義的な性質の

ものではないでしょう。


現代において、

これほど自殺や精神疾患が

渦巻いているのは


その無意識に反した

神経症的な判断を


強制しているからに

違いありません。


昨日の記事でも書いたように


現代の価値観に

全身で迎合せずとも


生きていく方法は

きっとあるはずです。


生き方を変えるとは

そのような意味であって


人間にとって自然な心持ちを

どうやって確保するか、


その工夫に解決を与える

必要があります。


その解決については

また別の話なので

ここでは割愛しますが、


心の自然な働きを

生活と調和させる


ということの意義を

述べてみました。


ご参考まで。