【第2781回】




微に入り細にわたるような面倒なことはしたくない。

ともかく善意でやっているのだから、と言う人は、

それは自分が好きでやっているだけのことで、賞賛に値しないどころか、極めて

近所迷惑なことをしているのだ、という自覚ぐらいは持ってほしいと思う。

ボランティア活動というのは、余程気をつけてやらないと、

逆効果を生ぜしめたりするものなのである。

(中略)

自分では善と思っていても、本当はどうなのかはわからないと思えてくる。

そうなってくると、善人に共通する不愉快な傲慢さが少しずつ消えてくる。



(p.109「こころの処方箋」

 河合隼雄 新潮文庫 平成十年)



著者は他にも


善人とは他人の気持ちに

ノーマークだ、


つまり想像力がないから、


他人にとって嫌なことである

“善行”を押し付けがましく

やり続ける


ということを言っています。


例えば、老人ホームの

ボランティア活動で

優しくし過ぎると


老人たちの自主性が損なわれ


施設職員たちを冷たいと

言い出すことがあるそうです。


そうなると、老人たちに

本来できていたことが

出来なくなる点で


施設職員たちからすると

ボランティアには害がある

と判断されます。


しかし、


善行であり、当事者が

喜んでいるという理由で


ボランティアは対立する

存在となってしまうのです。


本来、老人であり

施設職員の助けになるはずの

ボランティアが


邪魔でしかありません。


だから引用文の

警句が必要となります。


善行は微に入り細にわたり

考え抜かなければ


悪行とおなじなのです。





中村哲さんの水路をつくる

アフガニスタンでの活動は


地域住民の自立性を

最重要視していました。


だからこそ、他の国の援助で

維持管理するような形ではなく


地域住民でやれる作業の中で


土地を守る手段しか

採用しなかったのです。


アメリカなどの

アイスバケツチャレンジなど


ジャンルは違いますが、


結局、内容以前に

金でしかありません。


食料や、医療や、教育を

全て援助でやらせれば


当然、依存せざるを得ませんし、


それは住民の誇りを

奪う行為になるのです。


それこそ、「善人に共通する

不愉快な傲慢さ」が


アメリカの豊かな人間の

自己満足につき合わせながら


何の問題も解決しない援助に

良く表れています。





ウクライナの紛争にしても

アメリカNATOの仕向け方は


一方的な善行の

押し付けでしかなく、


結果的に、不要な戦争、

不安をバラまいただけです。


それに乗っかってNATOに

加盟するこの神経も


いわゆる“善人”の大雑把な

決断と言わざるを得ません。


戦争ビジネスでもそう、

貧困ビジネスでもそう、


豊かな人間には


“善行”の裏に隠された

漁夫の利の思想がいつでも

潜んでいるものなのです。


もちろん、

仕事で儲けることが

悪いわけではありません。


結果、悪くなると知りながら


善行のふりをし、

気づかぬふりをして


人を不幸にしている仕事が

悪いだけの話です。


ドラッカー先生が言うように

「知りながら害をなすな」

という倫理に集約されます。





貧困ビジネスという意味では

精神疾患の人々なども


こうした“善行”人間の

餌食になりやすく、


もはや社会問題でありながら

無視されています。


詳しくは、今後

触れたいと思いますが、


いずれにせよ、

社会の人々の常識として


善行そのものの質くらい

判断できるようでなければ


幸福になりようがないのです。


ご参考まで。