【第2674回】



参照点に左右されることは、感覚や知覚ではきわめて当り前のことだ。

同じ声でも、それまでが囁きだったか怒鳴り声だったかによって、

ひどくうるさく感じることもあれば、小さく感じることもある。


うるささの主観的な感じ方を予測するためには、

音のエネルギーの絶対値がわかっているだけでは不十分で、自動的な比較の基準になる

もとの音の大きさを知っておく必要がある。



(p.84「ファスト&スロー〔下〕」

 ダニエル・カーネマン 早川書房)



コロナで560万人以上の

死者を出した


と言うだけでは

それが人類の脅威なのか

わかりません。


統計を比較もせずに

医者が騒ぎ立て、


感染症の分類を

過去の感染症との比較を

提示することなく決めて


市民に強制するのは

ほとんど犯罪的です。


ところで、

日本の人口は減少しています。


それは高齢者がおよそ

100万人年間で亡くなり、


子どもが80万人しか

生まれてこないからです。


100万人亡くなるなかで

真の脅威がコロナである


ということは

常識的に考えて

異常な発想としか言えません。


そこから出発した時に


「どうしても

ワクチンが必要だ」


という理屈が

もとから破綻するから

統計比較しないだけです。





車の事故での死者数が

年間3000人いるにもかかわらず


車が安全になった

と評価するのはなぜでしょう。


それは以前8000人ほどが

亡くなっていたからです。


しかし、警察や遺族が

3000もの命を扱い、

弔っていることを


軽く扱うかどうかは

議論していません。


重く扱えば、

免許制度の厳格化や


車の所有の制限など

対処するしかなくなるからです。


そんなことにメリットがない


というのが社会的な判断で

皆も納得するでしょう。


しかしコロナは違うのです。





参照点は良くも悪くも


なんらかの決定を

社会が行う時に


必要なものになります。


世の不幸はゼロにできないし、

人間は必ず何らかの理由で

死ぬからです。


参照点を提示しないのは


判断を意図的に操作したい

場合しかありません。


詐欺師の典型的な手口です。


それはドグマであり

狂信に類します。


さて、テレビはコロナの

参照点を示したことが


一度でもあったでしょうか。


50%などの割合で示すことは

参照点とはいえません。


医療ひっ迫と言いながら


数万人の地域に専用の病床が

9床しかない時でも

100%と表現するのです。


この騒動で、まともな大人は

さまざまなことを学ぶべきだと

僕は強く感じます。


個人的な意見として

ご参考まで。