【第2666回】
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警察によりますと、男子生徒は電車内で
「お兄さん、たばこを吸っていますね。やめてもらえませんか」と注意していました。
宮本容疑者は「相手がけんかを売ってきた」などと容疑を認めています。
暴行は10分以上続き、電車内にいた友人3人は止めようとしましたが、
他の乗客は止めようとしなかったということです。
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(電車内でたばこ注意され“殴る蹴る”高校生が重傷
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000242556.html
2022/01/24 テレ朝)
この事件を見て
まず思うのが
危険人物を見抜く方法と
その対処を知ること
に尽きるという事です。
電車内でタバコを
吸ってる時点で
狂った男として
認定できるのであって
それは専門機関である
警察などに通報する事案
と見てとれます。
高校生は正義が勝つ
と思ったのでしょうが、
結果として顔の骨を折る
大怪我を負い、
おそらくはそれが
一種のトラウマとして
残る可能性が高いのです。
…
他の乗客が止めなかった
というのも責められません。
なにせジョーカーを装って
電車内でタバコを
吸っていた人間が
通り魔をやらかして
いたのですから
模倣犯を疑っていた
可能性もあります。
おそらく、
関わらないように
していたにもかかわらず
子どもが、ある種
けしかけたわけであって、
戸惑うのも
無理はないのです。
…
じゃあどうすればよかったか
と言われても、
それぞれの学校などの教育で
危険人物とその対処を
理解させるしかありません。
そのために警察もいるのです。
子どもを助けるために
止めに入る、という
道義的な意味も
その結果によっては
違ってくる場合があります。
つまり、止めに入ったら
火に油で
他の乗客に無差別に襲い掛かる
可能性もあったからです。
可燃性のものを
所持していたら
それこそ大惨事でしょう。
だからこそ、小事は大事で
これを教訓にして
人間教育の徹底と
格差構造を容認する社会に対して
疑念を抱く必要があります。
個人的な考察として
ご参考まで。