【第2629回】




<TwitterJapan(ツイッタージャパン)はたぶん企業としてこの状況を恥じてない。

だから見切りをつけます>

 10月中旬、温さんは自身のツイッターにそう書き込んだ。

日本と台湾、中国の関係について、他の利用者と応酬した末の「離脱宣言」だった。



(ツイッターは「良心すらのみ込む」 作家・温又柔さんの卒業理由

 https://mainichi.jp/articles/20211213/k00/00m/040/181000c

 毎日新聞 2021/12/15)



引用元は有料記事なので

ほとんど見出しのような

物を紹介しますが


それでも、昨今問題視される

誹謗中傷がテーマに

なっているのは


よくわかります。


ただ、こうした議論の際に

両者の理解を考えると


小説家であろう人が

どうも感情的に思えて

ならなかったのです。


しかも、自分を良心側として

批判者を悪意としてしかとらない


というのは


ツイッター特有の議論と

非難する小説家さんも

同じ構造に陥っています。


「同じ土俵に上がる」


という言葉がありますが、

彼女がツイッターを

嫌になったのも


まさしくそれを

やったからであって


表現はともかく、

批判者に対して見下した

態度という意味で


変わりはありません。





昨日の記事で、


豊かで特権的地位にいる人が

心の問題に関心が無い


ということを言いましたが、


このように理解できていない

状態を指しています。


最終、下々はクズだから

救う価値もない


と切り捨てるのがオチです。


もちろん、

そうではありません。


ツイッターで揚げ足取りの

批判をする人々は


そのように

暮しているからです。


つまり、揚げ足取りの

批判をされながら


仕事をし、学校に行き、

家庭で暮らしており、


そのすべては自己責任や

自助努力の欠如として


ぐうの音が出ないほど

押さえつけられています。


そういう境遇にあって


特権的地位にいる人が

自分勝手な意見を言い、


傲慢であることは

許せるものではありません。


当の批判者である自分だって

許されていないのですから。





では、本当に

自己責任か自助努力の欠如か

という問題に対して


疑問を呈したのが


白熱教室で有名になった

マイケルサンデル教授の


「実力も運のうち」


という能力主義批判の本で、

ベストセラーになっています。


すべては物的な環境が

成否を決めており、


それは遺伝子を含め、

あらゆる時代、社会、文化

環境要因が幸運となって


その人の成功をもたらした

ということです。


ならばその果実を

成功者が多くとりすぎることは


社会的に間違っている

となります。


仮に、

果実を多くとるとしても


それ相応の人物で

あってもらいたい


というのが一般人の不公平感を

和らげる願いなのです。





昨日の記事では


「モノや環境の改善」で

心の問題が解決されない


ということを言いましたが、

それは物的な意味であって


心の環境というのは

もっと奥深いものです。


成功者が表面的な物的環境や

人間関係に囚われていては

どうしようもありません。


心の環境に対する理解が

本当の社会設計に

反映されるように


論理的、科学的な

「思想」よりも


もっと上の次元で

議論されるべきだと思います。


日本の哲学思想は


そういう意味で

現在、地に落ちていると

断言できるのです。


個人的な意見として

ご参考まで。