【第1957回】
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最も謙虚であるべき宗教家や心理療法家が、
鼻持ちならぬ高慢さをさらけ出すのも、この点である。
意識的には謙虚さを売りものにして、それが無意識的な傲慢さによって
裏づけられていることに気づかないタイプのひともある。
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(p.223「ユング心理学入門」
河合隼雄 培風館 1967年)
まず、引用にある
「この点」とは
自我肥大のことです。
自我とは
意識の中心であって
自己という
無意識を含めた心の全体性を
意識によってすべて体現し、
自分をすべて支配できる
とするのが
自我肥大となります。
本来、意識にできることは
無意識を肯定し、
把握することであり、
支配できない無意識との
協同によって
バランスの取れた人に
なるところにあります。
自分は自分のことを
すべて支配できるとする人は
無意識に存在する
非合理性や劣等を無視することで
成功し、財を成すものですが、
結局、それが何のためで
何の意味があるのか
わかっていないものです。
…
全ての人とは言いませんが、
宗教家や心理療法家以外に
占い師や、
セミナー講師、
マナー講師や
芸、スポーツ講師
IT企業家など
「謙虚さを売りものにして、
それが無意識的な傲慢さ
によって裏づけられている
ことに気づかない人」
に溢れかえっているのが
現代の有様というものです。
知識に溺れて
傲慢さに満ち満ちています。
それが金になれば
全てが正しいと言わんばかりで
多くの人はそれを
認めてもいるのです。
人それぞれ
好きに生きれば良いですが、
自分が幸福になれないばかりか
それを他人にまで教え、
実行させようと
している様を見ると
本当に無意識の劣等の働きは
恐ろしいと思います。
…
あまりに無意識に
従属しすぎても
現実にコミットしなくなって
破滅を招きやすくなるので
あくまで、相補的に
バランスの取れた生き方が
重要と言えます。
ご参考まで。
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最も謙虚であるべき宗教家や心理療法家が、
鼻持ちならぬ高慢さをさらけ出すのも、この点である。
意識的には謙虚さを売りものにして、それが無意識的な傲慢さによって
裏づけられていることに気づかないタイプのひともある。
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(p.223「ユング心理学入門」
河合隼雄 培風館 1967年)
まず、引用にある
「この点」とは
自我肥大のことです。
自我とは
意識の中心であって
自己という
無意識を含めた心の全体性を
意識によってすべて体現し、
自分をすべて支配できる
とするのが
自我肥大となります。
本来、意識にできることは
無意識を肯定し、
把握することであり、
支配できない無意識との
協同によって
バランスの取れた人に
なるところにあります。
自分は自分のことを
すべて支配できるとする人は
無意識に存在する
非合理性や劣等を無視することで
成功し、財を成すものですが、
結局、それが何のためで
何の意味があるのか
わかっていないものです。
…
全ての人とは言いませんが、
宗教家や心理療法家以外に
占い師や、
セミナー講師、
マナー講師や
芸、スポーツ講師
IT企業家など
「謙虚さを売りものにして、
それが無意識的な傲慢さ
によって裏づけられている
ことに気づかない人」
に溢れかえっているのが
現代の有様というものです。
知識に溺れて
傲慢さに満ち満ちています。
それが金になれば
全てが正しいと言わんばかりで
多くの人はそれを
認めてもいるのです。
人それぞれ
好きに生きれば良いですが、
自分が幸福になれないばかりか
それを他人にまで教え、
実行させようと
している様を見ると
本当に無意識の劣等の働きは
恐ろしいと思います。
…
あまりに無意識に
従属しすぎても
現実にコミットしなくなって
破滅を招きやすくなるので
あくまで、相補的に
バランスの取れた生き方が
重要と言えます。
ご参考まで。