【第1902回】




二者択一思考に対する一つの反応は、

期待するのをやめるという無気力な態度である。

どんな「論争」でも、どちらの側にもつかない「大いなる中間層」がある。

彼らはチームワークと協力を大切にし、「相手の視点も考慮」する。

(中略)

彼らは妥協に価値を置く。

(中略)

妥協とは合意にいたるために当事者双方が利益の一部を

「譲り、犠牲にし、あるいは放棄する」ことである。



(p.36「第3の案」

 スティーブン・R・コヴィー 

 キングベアー出版 2011年)



大抵の人は

引用文のように

生きているように見えます。


それが良いか悪いかは

別としても、


慢性的な不満、

意欲やアイデアに対する

嫌悪を引き起こすとなれば


危機的状況に対して

何も解決策を出せず、


やはり妥協に頼ることに

なるでしょう。


ただし、この場合

いつでもあからさまな

犠牲を強いられる


第一の層は

子供たちなのです。


事態の悪化を防ぎ、

協力するためには


妥協と我慢が必要だ

としながら


精神的な妥協と我慢を


最後に受け止めるのは

子供になります。


つまり、

引用の様な態度、解決策は


社会的に見て

がんのように人を

むしばみ続け、


回復不能の状況を招きます。





一番ネックになるのは

やはりリーダーであり

経営者ではないでしょうか。


いくら個々人が

意欲とアイデアで

解決を図ろうとしても


トップが理不尽に

はねつければ

どうしようもないからです。


結果は、上に述べたように


リーダーの我がままによって

連鎖の最後である

子どもが虐げられます。


最近、子どもの虐待について


罰則が厳しくなる

ニュースを観ましたが


親への教育であったり


社会が子供を第一として

許容できる法的な

拘束力がなければ


結局虐待そのものを

防ぐ手立てにはなりません。


人間は誰もが

精神的に高潔になれる

わけではなく、


社会のリーダーが

それをけん引できる

人格者として


選ばれし者である

必要があるのです。


金儲けが上手いだけでは

社会悪の価値観を

蔓延させることになります。





二者択一のジレンマから

脱するためには


正しいかどうかではなく


より良い方法を探る

ところから始まります。


どちらかが正しいことを

証明しようとすれば


双方自分の側を擁護するに

決まっているからです。


ご参考まで。