【第1699回】
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いつもは楽しいお喋りの場であるPTAの会合で、
誰かがこのような思考機能を働かし始めると、がぜんそれは
討論と演説の場となり、劣等な思考機能は感情に支えられて活動する。
そして、会員のひとは、何か自分でも気づかなかった新しい才能を
発揮したような快感と、けっして見せるべきでなかったみにくい面を
ひとにさらしたような不快感のまじった気持ちを味わいながら
帰途につくのである。
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(p.52「ユング心理学入門」
河合隼雄 培風館 1967年)
小学生以降の子を持つ親なら
PTAについて何かしらの
意見や感情を持つものですが、
僕はPTAという団体を
必要だとは思いません。
問題解決のための
シンプルな体制なら
あってしかるべきですが、
千差万別の親の「感情」が
いつでもその意義を
不鮮明にしているのです。
感情を満たす行為を
PTAに求めることで
子どもにとっても
親にとっても
問題解決の機能を
果たすどころか
問題を生み出しています。
その理由は
引用文にあります。
…
大抵問題を生み出すのは
外向的なタイプの人で
内向的な人は
活動を大ごとにしようとは
思わないものです。
外向的な人が陥る
心理状況として、
対人関係を重んじるあまり、
自分主体ではなく
相手主体の「客体」に
だんだんと疲労感を
募らせることがあります。
その疲労感を解消するために
それまで客体中心であった
自分の感情や価値を
つまらないものとして
破壊するような言動を
取るようになるのです。
その形式としては
「本来はこうあるべき」
とか
「なぜこうしないのか」
という自分の抑圧してきた
理想像を押し付ける形を
とります。
…
つまり、ある程度
外向型の人に支えられる
PTAという組織は
こうした他人の勝手な
理想像を押し付けられる
リスクを持っている
ということです。
それは決して
子どものための
問題解決ではなく、
個人の感情的葛藤を
晴らす場になっています。
会社組織ならある程度
成果を出すことが
目的として
はっきりしているので
是正される機会がありますが、
成果がなにかよくわからない
PTAでは、是正されることは
ほとんどなく、
大抵は親同士の
感情的対立に
他の親が巻き込まれ、
活動を押し付けられて
終了するだけです。
…
PTAをただ
批判するというより
人間にはこうした
感情の引き起こすリスクが
いつでも付きまとっている
ということが
言いたいのです。
特にPTAではそれが
是正されにくいと言えます。
感情の葛藤は
ストレートに
表現されることはなく、
いつでも
道徳や正義の姿を借りて
偽装します。
それでいながら
引用文にあるように
罪悪感も覚えるのですから
つき合っていられません。
昔のPTAは問題解決の
機能を持っていたようですが
物質的に豊かな現代では
それが適合しない
ということを一度
確認してほしいと
願うばかりです。
ご参考まで。
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いつもは楽しいお喋りの場であるPTAの会合で、
誰かがこのような思考機能を働かし始めると、がぜんそれは
討論と演説の場となり、劣等な思考機能は感情に支えられて活動する。
そして、会員のひとは、何か自分でも気づかなかった新しい才能を
発揮したような快感と、けっして見せるべきでなかったみにくい面を
ひとにさらしたような不快感のまじった気持ちを味わいながら
帰途につくのである。
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(p.52「ユング心理学入門」
河合隼雄 培風館 1967年)
小学生以降の子を持つ親なら
PTAについて何かしらの
意見や感情を持つものですが、
僕はPTAという団体を
必要だとは思いません。
問題解決のための
シンプルな体制なら
あってしかるべきですが、
千差万別の親の「感情」が
いつでもその意義を
不鮮明にしているのです。
感情を満たす行為を
PTAに求めることで
子どもにとっても
親にとっても
問題解決の機能を
果たすどころか
問題を生み出しています。
その理由は
引用文にあります。
…
大抵問題を生み出すのは
外向的なタイプの人で
内向的な人は
活動を大ごとにしようとは
思わないものです。
外向的な人が陥る
心理状況として、
対人関係を重んじるあまり、
自分主体ではなく
相手主体の「客体」に
だんだんと疲労感を
募らせることがあります。
その疲労感を解消するために
それまで客体中心であった
自分の感情や価値を
つまらないものとして
破壊するような言動を
取るようになるのです。
その形式としては
「本来はこうあるべき」
とか
「なぜこうしないのか」
という自分の抑圧してきた
理想像を押し付ける形を
とります。
…
つまり、ある程度
外向型の人に支えられる
PTAという組織は
こうした他人の勝手な
理想像を押し付けられる
リスクを持っている
ということです。
それは決して
子どものための
問題解決ではなく、
個人の感情的葛藤を
晴らす場になっています。
会社組織ならある程度
成果を出すことが
目的として
はっきりしているので
是正される機会がありますが、
成果がなにかよくわからない
PTAでは、是正されることは
ほとんどなく、
大抵は親同士の
感情的対立に
他の親が巻き込まれ、
活動を押し付けられて
終了するだけです。
…
PTAをただ
批判するというより
人間にはこうした
感情の引き起こすリスクが
いつでも付きまとっている
ということが
言いたいのです。
特にPTAではそれが
是正されにくいと言えます。
感情の葛藤は
ストレートに
表現されることはなく、
いつでも
道徳や正義の姿を借りて
偽装します。
それでいながら
引用文にあるように
罪悪感も覚えるのですから
つき合っていられません。
昔のPTAは問題解決の
機能を持っていたようですが
物質的に豊かな現代では
それが適合しない
ということを一度
確認してほしいと
願うばかりです。
ご参考まで。