【第1691回】



もし利益が真のコストであるとするならば、

とくに、利益が雇用を維持し新しい雇用を創出するための

唯一の手段であるとするならば、


そのとき初めて、資本主義は倫理的なシステムとなる。



(p.73「すでに起こった未来」

 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社 1994年)



引用文にある、

「新しい雇用を創出する」

という部分が重要です。


このことは、


今ある仕事は

いずれ陳腐化してしまう、


よって、

新しい仕事を創造し

続けなければならない、


という意味を含みます。


シュンペーターの

理論を受けた話なのですが、

この大元にある概念が


「経済の不均衡状態」


というところにあって、

それがゆえに、


「不均衡状態から

社会の人々を救う」


という意味で


利益を雇用のための

コストに変えることは


資本主義の道徳性を

証明することになるのです。


もし経済が均衡状態を

保つとするなら


それはシステム化された

社会を指しており、


ドラッカー先生は


経済にある人々は

自己の利益を

最適化するために


必ずシステムを破壊して

不均衡を招く、


ソ連のような社会主義でも

闇市という実質経済を

発生させる


と明言しています。


つまり、

経済の不均衡状態は


人間の欲望の前では

不可避だということです。





ただし、日本の江戸期は

徳川家康の創造した経済を、


道徳によって

均衡させ続けた例として

考えなければなりません。


世界の社会主義は

ことごとく失敗した、


とされており、


日本の封建主義も

白人の社会主義や貴族社会と

同列に語られがちですが


道徳という根本原理を

無視した発想です。


足るを知る、


立って半畳、寝て一畳、


宵越しの金を持たないのが粋、


一人口は食えないが

二人口は食える、


こうしたある種の思想が

一般庶民に根差した社会は

やはり異質なものでしょう。


農民の生産を基軸として


武士の知恵があり、

商人の流通があり、

必要な技術が発達したのは


やはり、

災害という不均衡が

毎年起こる島国

だからこそでしょうが、


世界がいよいよ

行き詰まった時は、

必要な教訓だと思えます。


ご参考まで。