【第1631回】



「前提なしに結論はない」ことの当然の結果として、

「“かくある”ということだけからは、

“かくあらねばならない”ということは導き出されない」のである。


したがって、理性がわれわれの目的に到達するための

手段を発見するのに有効な手助けを提供するかもしれないとしても、

それは目的そのものについては語るべきものを少しももっていないのである。



(p.20「意思決定と合理性」

 ハーバート・A・サイモン 筑摩書房 1987年)



今日からまた、

新しいテーマを始めます。


ノーベル経済学賞を

取った教授の本で、


認識、推論能力の限界の中で

いかに最良の決定を下すか


という内容になります。





偶然ですが、

昨日の記事に書いた内容を


別の言い方で表した

引用文になっています。


公理と推論規則からは

規範的言明に至らない


という言い方を

この本ではしていますが、


例えて言うなら、


原子力において

公理とは


わずかな資源で

莫大な熱を得ることができる

ということで、


推論規則とは


経済性という観点で

公理をどのように

利用できるか


という恣意性を

含んだ論理になります。


「莫大な熱」という

観点自体が断定的で、


「経済性」という観点も

やはり断定された

見方だからこそ、


論理的帰結として

規範的言明、つまり

“かくあらねばならない”


を導き出せるわけがない

ということです。


始めから断定的な

ものの見方をすれば、


それは偏見であり

規範とはなりえません。


そのことを昨日の記事では

過去と未来と歴史について

述べたわけです。





重要なのは、


あらゆる前提、

公理の集合を


目の前に並べる事であって、


そうすることで

理性は働き始めます。


もちろん、

そうであっても


前提、公理は

無数にあるのですから


完璧な答えなど

始めから到達できる

ものではないと


肝に銘じる必要が

ありましょう。


ご参考まで。