【第1418回】



他人の面倒を本当に見たければ、

まずは自分の面倒を見る必要がある。


そういう意見にあなたは賛同するだろうか?

だからこそ、マザー・テレサやガンジーは、

他者への奉仕を通して、幸福で充実した人生を

自分に与えていたのだ、

と主張してもいいものだろうか?



(p.273「悪魔を出し抜け!」

 ナポレオン・ヒル きこ書房 2011年)



ちょっと言い回しが

微妙な文章なので

述べてみたいと思います。


まず、一節目は

人間の本性を利用して

支配しようとする


悪魔の言葉です。


人間の真理として

述べられたのが


「まず自分の面倒を見る」

というものですが、


この本を注釈した

シャロン・レクターは


悪魔の主張は

違うのではないか


という意見をしています。


つまり、

「自分の面倒を見る」とは


「他人の面倒を見る」と

イコールではないか


という主張です。


ある意味では、


悪魔が我々を騙して

「考えない人間」に

するような誘導であると


レクターさんは

感じたのかもしれません。





僕の意見としては


「与えることで

与えられる」


という格言を


自立と混同して考える

べきではないと思います。


与えられたい場合は

まず与えるべきですが、


それは与える能力が

あってこそです。


自立していない人間には

与える能力がないし、


それは自分の面倒を

見れる人の能力と言えます。


この点でいうと


ガンジーさんも

テレサさんも


自立していません。


ガンジーさんが

人間の盾のような

活動をしたのは


弁護士になっても

白人に相手にされず

頭にきたからです。


聖人君子の

無謬性をひねり出して


怒りで白人と

対決しています。


結局、人々を扇動して


自分以外の大勢が

生々しい暴力で


めちゃくちゃな

殺され方をした


にもかかわらず、


非暴力の直接行動を

させ続けました。


他人に依存した英雄で


やはり白人に称賛されて

いるところに


なにか矛盾したものが

あると感じさせます。


テレサさんにしても、


愛を与えるとか

心を込めるなど


自分主体の活動として

本人は認識しています。


愛も心も本人のもので


受け取るであろう

弱者の態度に

依存しているのです。


だからこそ、

直接的な活動ばかりで


根本の解決策には

触れていません。


この方もやはり

白人から

称賛されていますが


貧困や飢餓がなぜ

もたらされ続けているのか


突っ込まれたくないのだと

感じさせます。


ぜひ、

世界のリーダーたちを


愛で導いて

ほしかったものですが、


そうはして

くれませんでした。





何も僕は英雄たちを

見下したいのではなく、


ナポレオンさんは

もっと大きい視野で


宗教やイデオロギーと


向き合っていたのだと

感じているのです。


最近

「サピエンス全史」

というベストセラー本を

読みましたが、


ナポレオンさんも

確実にサピエンスレベルで


ものを考えていたことが

よくわかります。


上記の本では、


人類、特に白人にとっては

都合の悪いことが


多く述べられていますが、


それでも科学信仰という

ドグマには著者の自覚が

及んでいません。


ジェンダー問題にしても

やはり現代のドグマが


無意識の前提で無批判に

展開されています。


ナポレオンさんの

この悪魔の本では違います。


全てに言及し、

手加減をしない部分が


悪魔の言葉として

表現されています。


違うからこそ

出版禁止の本として

眠らされていたのだし、


現代の成功者である

レクターさんには

違和感がでるのです。


そういう意味では


現代の「資本と科学」が

手を組んだ時代性を超えた、


人間としての幸福を

ちゃんと語っている本だ

と感じます。


ご参考まで。




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