貧富を気にし過ぎると、自然それによって、

他人と自分を比べてみたくなる。

比べた結果がへつらい心や驕り心を生み出す。


そこで、それを征服するために

苦心しなければならない

(中略)

そこで、貧富を超越するということじゃが、

それは結局、貧富を天に任せて、ただ一途に

道を楽しみ礼を好む、ということなのじゃ。



(p.20「論語物語」

 下村湖人 講談社学術文庫)



孔子の弟子が、

孔子の教えのごとく、


貧しい時に卑屈にならず、

金持ちになっても

偉そうにしなかった、


ということを

報告した際に


孔子に言われたのが

引用文です。


征服の努力をしたということは、


自分の驕り心やへつらい心に

全く気付かずに、


「孔子の説く道を成した」


という表面的な結果を

求めての事だと言えます。


それでは、へつらわず、

驕らなかった

ことにはなりません。


孔子の言いたいことが、


心の内面でへつらわず、

驕らないことならば、


人に迷惑をかけず、

人に尊敬されること


を求めている時点で

全く道を成した

とは言えないでしょう。


ちなみに道とは

真理に基づいた


生き方であり、

姿勢のことです。


そういう意味で、

目的はへつらいや驕りの

克服そのもので、


その先にあるメリットが

チラついている限り

到達はできません。





子供を、上に男の子と

下に女の子の二人持つ

お母さんが、


「下の娘の方を

どうしてもかわいいとは

思えずに困っている」


という話をしていました。


この場合でも

先の例と同じで、


ただ、可愛がればいいのです。


「自分の都合」が

子供との関係において

目的になっているから、


都合にあわない子供を

可愛がれなくなります。


いくら表面上で

虐待などがないにしても、


彼女は、可愛くないのが

辛くて困っているのです。


ならば、


子供を気にかけ、

自分を犠牲にして

ただ可愛がるしか


辛さを克服する方法は

ありません。


その先に、自分の達成と

愛情の発生を感じるはずです。


もし、できないし、

感じないというなら


ずっと「自分の都合」が

頭から離れていないだけなので


議論の余地はありません。


そういう意味では

修行と言ってよいでしょう。





「7つの習慣」という本でも


妻への愛情を失ったという

男性に対するアドバイスは


「妻を愛しなさい」


でした。


愛情がないから

愛せないのではありません。


愛さないから

愛情がわかないのです。


愛するというのは

自己犠牲や奉仕を行う

ということです。


先ほどのお母さんの

例でいえば、


「自分の都合を捨てる」


というのが

子供を可愛がり、愛する

ということになります。





引用文を言い換えれば


結果は天に任せて、


正しい在り方を

体現すること

そのものを楽しむ


ともなりましょう。


アドラー心理学の

「刹那に生きる」

という概念にも通ずる、


幸せを感じるためには

必要な考え方です。


経営でも同じことで、


未来を気にして

今をおろそかにし、


表面はどうあれ、

内心の恐怖に追い立てられて

行動するならば、


上手くいくことはありません。


重要なのは

今できることに集中して

楽しむことです。


僕はそのように考えています。


ご参考まで。




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