都民ファーストの会」事務総長を務めた元側近・小島敏郎氏に、公職選挙法違反(虚偽事項公表罪)容疑で刑事告発された小池百合子東京都知事(71)。小池氏の学歴詐称疑惑を指摘しているのは小島氏だけではない。エジプト留学時代に同居していた北原百代さんが、実名で「文藝春秋」に手記を寄せた。
初めて会ったのは、エジプト・カイロ市内のペンションでした。あなたは19歳で、私は30歳。もう半世紀以上も前、1972年の春のことでした。
あなたは私が滞在していたペンションに、商社マンのAさんに連れられてやってきました。同居相手として、Aさんが私に紹介してくれたのです。半年ほど前にカイロへ来て、カイロ・アメリカン大学に通っている小池さんだと紹介されました。
Aさんとは朝堂院大覚氏?
私は事実を知る者として義務を果たしたいと思った
事実を知りながら黙っている私も許されないと思った
小池百合子は日本の法律に違反することをして、今の地位を築いた。
2年生でカイロ大に編入
同居した時、19歳の小池百合子はほとんどアラビア語を話せなかった。
口癖のように
「お父さんが来年からカイロ大の2年生に編入出来るように取り計らってくれた」と言って勉強してる様子はなかった。
お父さんは日本で石油関係の仕事をしていた。
北原さんが外国人無限の語学学校に行くというと2回くらいついてきたが、すぐに辞めた。
そして、その語学学校で出会った日本人留学生と結婚すると言って驚いた。
出会って2か月も経っていなかった。
日中は机に向かっていましたが「辞書を貸して」と言われ、驚きました。「辞書も持たずどうやって勉強していたんだろう」と。あなたは調べた単語に鉛筆で丸を付けていましたが、返してもらった辞書を開き、丸の付いた単語を見て「こんな言葉も知らなくて大丈夫かな」と、正直なところ思っていました。
お父さんのコネで入学したけれど、あの語学力ではカイロ大学の授業にはついて行けなかったのだと、察した。
進級試験に落ちてしまった百合子さんは、JALの現地スタッフとして働き始めましたね。チケットの販売係のような仕事でした。
1976年8月北原さんの乗った飛行機がハイジャックされた。
この時、小池百合子は読売新聞の取材を受けた。
「同居する北原さんの安否を心配する日本航空駐在員の〇〇(Bさんの名字)百合子さん」として。
離婚してるのに離婚したBさんの名字を名乗ってること、現地採用スタッフなのに日本航空駐在員となってることに驚いた
日本に急遽帰ることになった。
切っ掛けはサダト大統領夫人の来日でした。これを知ったお父さんから電話があり、「日本に帰って大統領夫人のアテンドをしろ。話はつけてあるから」
百合子さんのお父さんは日本アラブ協会に「娘は夫人と同級生で顔見知りだ」と言って売り込んだ
百合子さんの顔写真が大きく載っている記事を読み始め、私は驚きました。「カイロ大学文学部社会学科を日本人女性として初めて卒業した」などと紹介されていたからです(「サンケイ新聞」1976年10月22日)。
北原さん
「そういうことにしちゃったの?」
小池百合子
「うん」
「私、日本に帰ったら本を書くつもり。でも、そこに北原さんのことは書かない。ごめんね。だって、バレちゃうからね」
それでいい? と、あなたに念押しをされるように言われ、私は頷くよりほかはありませんでした。