ただ仲良くするのではなく、道理を正しく見出すために党派や派閥のこだわりを捨てるべきだと教えてくれているのだと思います。
ここで注意しなければならないのは、第1条、第17条は討論、議論の効用を重視しているということです。逆に言えば、議論を有耶無耶にして表面上の一致を求める「空気の支配」「同調圧力」を戒めているということもできます。
「和を以て貴しとなす」という言葉は、自由闊達な議論を封じ、長いものに巻かれろ式の「空気の支配」を助長するような使い方をされがちですが、それは聖徳太子の真意とは全く逆ということになります。聖徳太子は道理にかなった結論を得るためには公正な議論が不可欠だと考えていたのです。どんなに優れた人物だとしても、完全無欠ということはあり得ないとわかっていたのです。
これをを踏まえて聖徳太子は「公正な議論が不可欠である。公正な議論のためには党派、派閥的なこだわりをなくさなければならない」とされたのです。
まとめると
「完全無欠にほど遠い人間が公共の利益を実現するためには、派閥的なこだわりを捨てて公正な議論をしなければならず、そのためには各自が私心を捨てなければならない。」
これが「和を以て貴しとなす」の真意と言えるでしょう。