世見
2024年3月21日(木曜日)
期待
私の生き方が良いのか悪いのかはわかりませんが、あまり人には期待をしません。
だってね、期待の中に“自分の願望”が入っている時があるのですものね。
だからね、自分の希望と言いますか、考えは話をしても、相手から望む答えなど持たないのです。
だってね、相手にも考えがあると思うからです。
そりゃね、人生って、自分では思ってもいない答が相手から返ってくる時も多々あります。
そんな時に、何故なのだろうとその時考えたって、答がわからないことだらけです。
でもね、“時”って凄くてね、相手を理解しようと思う気持ちさえ持っていると、気付くことも出て来るから面白い。
私ね、期待はしませんが、一旦心に住まわせた人は、相手が自分のことをどのように思おうが大切にしています。
だってね、人の気持ちより自分の気持ちが大切なのですものね。
人ってね、自分が心に住まわせたりすると、相手も同じ気持ちでいて欲しくなるみたいなのだけど、相手の気持ちより自分の気持ちの方が私には大切です。
人生なんてね、誰かに自分の叶わないかもしれない望みを持って期待するよりも、ご自分に芽生えたその人への思いを大切にした方が、どれだけ心さんが楽かわかりません。
ただ、どなたからか期待されることがあった時は、向かう方向性が一緒なら同じ夢、或いは自分の未来を考えて頑張ることはステキです。
でもね、親って変な人が多過ぎます。
子供に期待をし過ぎです。
子も優しいと、親を喜ばせたくて親の期待に応えたくなり、気が付くと自分がやりたかったことと違うことに学校を卒業後気付き、急に会社を辞める子も多くなりました。
私ね、この期待する感情って、期待という言葉だからどこかいいように聞えますが、期待され過ぎると、考える力をなくす気さえします。
私はありがたいことに、親からも誰からも大きな期待をされなかったから、今日もこうして思ったことが書ける人になりました。
ただ、両親が願っていた優しい子になれたかはわかりませんが‥‥。