世見
2024年3月8日(金曜日)
芭蕉
人は、大きな問題もなく人生を終わりたいと思うかもしれませんが、思いがけないことが起きるから生きよう、と思う人も出て来ます。
ご自分の人生が良かったか悪かったかの評価など、誰もつけられません。
どんな生き方であっても、自分がどう思うかしか、答など出て来ませんからね。
だからといって、ご自分の人生を嫌うことなどしないでくださいね。
それとね、過去の嫌な出来事に捕らわれないことです。
捕らわれると、いつまで経っても人生を楽しめなくなりますからね。
あの松尾芭蕉、21歳の若さで「姥桜(うばざくら)咲くや老後の思い出に」と詠んだのには驚かされます。
まさかご自分が51歳でこの世を旅立つのを、21歳の時にわかっていたとは思えません。
芭蕉もあの世に帰り、ご自分の人生を振り返ると、人との出逢いに運命を感じたことでしょう。
あなたも今までの人との出会いで、今のご自分があるのを感じとられると思いますが、芭蕉は姥桜が咲くのを見て、老後の思い出に咲いていると思ったとしたら、ご自分のこれからの人生を心に刻もうと思った気もいたします。
歴史を動かす人はほんの一握り、神に選ばれし人だとしたら、今の世で多くの命を弄ぶ人を作っているのも疑問ですが、芭蕉はスポンサーを得ても遊び惚けることはせずに、河川工事に従事したとも言われています。
だから人の心に寄り添える句が残せたのだと、私は思っています。
芭蕉という人も、中々日の目を見ることが出来なかった時期もありました。
俳諧師としては、まったく名が広がらなかったのです。
だからかもしれません。旅に出たのは。
「野ざらしを 心に風の しむ身かな」
この一句 人間味が溢れています。
今日ね、湖のようなことを書きたくなったのは、お読み下さる方の中にやけくそ気味の方を感じ、その方に、芭蕉も人生の岐路に立った日があったことをお伝えしたくなったのです。
芭蕉も人の子、歴史を動かせたかもしれませんが、私達と同じような思いを体験した人だと思います。