世見
2024年2月7日(水曜日)

歴史に名を刻む人達  

「松下幸之助」と呼び捨てには書けないお人です。
この方って和歌山市の出身なのですね。
大阪の東成区玉津二丁目の借家に住んでいたといいますから、この辺りに現在住んでおられる方はワクワクされるかもしれません。
この借家で電球用ソケットの製造販売を始められて、一代で現在のパナソニックホールディングを築き上げられたのですから、「経営の神様」と呼ばれても頷けます。
私などは、パナソニック〇〇と呼ぶより、“明るいナショナル”って感じです。
私が関西人だからかなぁ。今までノーベル賞受賞者が28名だったかおられる中で、関西出身者か又は関西にゆかりのある人が12名もおられます。
話を戻しますが、大阪の門真市にある「松下幸之助歴史館」に行ってみられたことってありますか?
多くの展示物から幸之助氏の生き方が見えて来て、「よ~し 頑張るぞぉ~」と思っていただけると思います。
1894年に生まれた幸之助氏、日本が戦争に負けたのが1945年、幸之助氏51歳の時でした。
敗戦をどのような思いで受け止められたのでしょうか。
1989年にあの世に旅立たれたのですが、1989年は平成元年です。
どの様な思いで平成を感じられたのでしょうか。
「ものを作る前に人をつくる」本当にそうだと思います。
今日は、朝からやけに浅草のあの大きな赤提灯が思い出されて、松下幸之助氏という人に思いが募りました。
あの稲盛和夫氏とは、38歳幸之助氏が年上ですが、お二人はお会いになったのでしょうね。
私達は、歴史に名を刻む人達から学びたいものです。
もしかすると、知れば知るほどに、人間味溢れる面を多くお持ちだった思いもいたします。
昨年の12月21日に出版させていただいた『大世見対談 松原照子×保江邦夫』の保江邦夫先生は、湯川秀樹先生の愛弟子です。
保江邦夫先生も人間味溢れるステキな方でした。
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保江邦夫さんも対談相手は選んでもらいたいと個人的には思います
波動が下がるというか
同じレベルにされてしまいますよ。。