世見
2024年1月24日(水曜日)

徳川家光  

一ヵ月前の今日はクリスマスイブでした。
もう昨年になるのですね。
あなたは昨年、楽しいクリスマスを過ごされましたか?
お正月を迎えると、誰もが心に持っている“今年のスイッチ”を押してしまうものだから、一ヵ月前のクリスマスイブも心の隅に追いやってしまいます。

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能登地震から1か月がそろそろ経ちます。
大地震が起きる前に知らせると宣言していた地震予知能力者は1度も能登地震について書きません。さすがに言い訳も出来ないためにダンマリ作戦して考え中なのでしょう

人は特別なことが起きない限り、思い出すことはあまりありません。
今日という日も、あまり変わらない日常を送っていると、2、3日もすれば昼食を食べたことすら思い出せないか、思い出すことすらいたしません。
戦争とか、大災害とか、ご自分のことで心に残ることがない限り、一年ってあまり変わることなく過ごしているのだと思います。
だからいつも思うのです。
“変わりない日々こそが幸せ”なのだと。
人というのは、生い立ちで考え方の半分以上をつくっている気がしますが、大人になるにつれ、出会えた人によっても考え方が変わります。
ただ、心を成長させずに生い立ちのせいにしていると、時間が止まり、嫌の思い出にいつもビクビクしながら生きることになります。
人間社会に於いては、名を残す人もいれば、そうでない人もいます。名は残し方で、死んでからもいつまでも花が咲きます。
徳川家光という人は女装好きでした。
美少年をとても好んだとも言われています。
でもね、将軍様ともなれば、跡継ぎ問題は重要です。
春日局はボーイッシュな女性を用意したことが上手く行き、女性の良さを家光は見付けたと言います。
別居を通したため、正室との間には子供は授からず、側室の子が四代将軍家綱になりました。
将軍と正室の間の子が将軍になったのは、徳川家では家光ただ一人だったそうです。
ただね、家光は家康と春日局の間に出来た子供なのでは、と言う説があるのをご存知ですか。
今日は、家光という有名人にスポットを当ててみたくなりました。