世見
2024年1月14日(日曜日)

イエルサレム  

話し方ひとつで、同じ意味でも好感度ってアップします。
例えばですよ、「要領が悪いね」と言うより、「正直者ね」くらいがいいと思います。
日本語には、人を心地良くさせる言葉が沢山あります。
だからと言って、心にもない言葉はタブーです。それとね、自分が人から言われると嬉しくなる言葉って、大切に思う人も言われると喜ばれます。
親し過ぎるとついつい言葉が冷ややかになりがちですが、言葉使いひとつで人を幸せに出来るのですから、どうか言葉は大切になさって、あなたの言葉でたくさんの幸せ者をつくってくださいね。
今日はね、いつもの事ながら、わからないお話を書いておきますね。
“不思議な世界の方々”が教えてくださるお話には、私が理解出来なくとも、きっと伝えたい思いがあるのだと思います。
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ネット検索して出てくる情報しか書けない時点で、不思議な世界=ネット世界


第2代カリフのオマル・イブン・ハッターブは、在位10年でイエルサレムを征服。
どうやら、この時代のイエルサレムについて知られていることは僅かしかないようですが、かなり激しい歴史があったようです。
11世紀末の第1回十字軍遠征で集結する、450年にも及ぶムスリム支配とはどのような様子であったのか、初期のムスリム時代に訳がわからないまま、興味だけが心を走ります。
イエルサレム人のエル・マクデイスイ。
ペルシア人のナーシルーイーホスロー。
この二人を知ると、初期ムスリム時代がわかる気がして来ました。
イエス時代のイエルサレムと、初期のムスリム時代のキリスト教徒の巡礼者達の胸の内を知ると、現在の歴史が読み解ける思いがいたします。
イエルサレムはムスリム(イスラーム教徒)にとっても神聖な場所であり、聖地のひとつでしたが、パレスティナのムスリム征服者はどうしてイエルサレムを政治や行政上の首都にしなかったのかが、謎と言えば謎かも知れません。
キリスト教徒の多くは、この時、この地イエルサレムを去りました。