世見
2023年12月19日(火曜日)

遊女  

「遊女は客に惚れたと言い、客はいなせで又来るという」
今では、遊女は姿を消しましたが、吉原の遊女の定年は28歳でした。
吉原では28歳定年制を採用していたのです。
現代とは違い、人生50年時代でしたからね。
それと、多くの女性が10代で花嫁さんになって、子供を産んでいましたからね。
今聞くとビックリなのですが、20歳を過ぎれば“年増”と思われていました。
定年を迎えた遊女は年季明けを迎えますが、借金を返済出来ていないと岡場所に売られました。
この岡場所の定年は33歳。
殆どの遊女は貧しい農村の出、国になんか帰れません。
長い遊女生活に、身も心もボロボロでした。
日本にこんな時代があり、吉原の最盛期には7000人以上も遊女がいました。
「おいらん」と言われる言葉は、遊女見習いの禿が、自分が仕える遊女のことを「おいらの姉さま」と呼んでいたことから、この言葉が縮まって「おいらん」になったみたいです。
家族が生きる為に食減らしの意味もあり、遊女に売られていった娘さん達が、今なら未だ幼い11~15歳だとしたら、あなたはどのように思いますか?
戦後、日本も変わりましたが、まだまだ女性の地位は低い国です。
でも、家での天下人は 女性が多くなった気もいたします。
人間が作り出す歴史。
この歴史もこれからの3~4年は特に注目です。
又、人間が作る歴史以上に、自然界は猛威をふるいます。
私達は歴史の証人です。
どのような思いを後世に残せばいいのでしょうか。
これからは、民族意識といいますか、宗教観といいますか、考え方が分かれやすく思っています。
人間の思考ひとつで人類のドラマだけが変わるのではありません。
人類ひとりひとりの生き方がひとつで、自然界も大きく変化して、そして我々人類に返って来ます。