世見
2023年10月31日(火曜日)

親子  

火山は信仰の対象でした。
私達のご先祖様は、神様の存在を信じていました。
人力も及ばない遙か彼方の世界、それは火柱を上げ真っ赤に燃える岩を流し、大地を揺るがし、大音響は地獄に続く道へのようにも聞こえます。
神を信じた人々は、火山には神社を祀りました。
富士山、御嶽山、浅間山などのように、日本の多くの火山には今も神社があります。
現代人は現実に目が行き過ぎて、神を信じなくなった気がします。
でもね、人って困ったことが起きると、神様にお願いしたくなるのですよね。
「悩み事は心を成長される」とは思っても、心の中に答が手に入れられないと、人は気持ちをスッキリさせることができません。
でも、“生きること”が今の世に生まれて来た使命ですから、悩み事を抱えていても、私達は希望という明かりに向かって進みます。
悩み事の中でも「親子問題」というのは、どうもどこかに“甘え”が見え隠れいたします。
親子というのは、「わかってほしい」と「わかっているだろう」が同居していて、親も子も、自分に都合良くこの二つを使い分けているようにも思います。
「わかってほしい」がお互いにあり過ぎると、どちらかが疲れ過ぎ、「わかってくれることはない」こんな答を出してしまうこともあります。
親は子に甘え過ぎると大人対応が出来ず、その時の感情のまま子に接します。すると、「親は子の為」という思いの中に願望も多く含むことになってしまいます。
そんな親の気持ちを、子の心が成長していない時から植え付け過ぎると、子は親の願望を叶えたくなるのですが、叶えることが苦痛になる頃、親は子の心の中がわかりにくくなります。
親と子は同じ年なのですよ。
何人の子に恵まれても、ひとりひとりと同じ年。
そりゃね、始めは、体験だけは親のほうが多くしていますからね。