世見
2023年10月29日(日曜日)
信長、秀吉、家康
応仁元(1467年)の1月、応仁の乱勃発。
この応仁の乱勃発から67年後、織田信長が生まれ、その3年後、豊臣秀吉が生まれ、徳川家康は秀吉が生まれた6年後に生まれました。
1536年から1542年の間に、日本の最大級の有名人が三人もこの世に誕生しています。
これって偶然なのか、神様の計画なのか、とても不思議な気持ちになります。
織田信長から豊臣秀吉、そして徳川家康にバトンタッチされていく歴史ドラマ。
興味のない方も、少しだけでも興味を持ってみては如何でしょうか。
戦国時代が始まると、家康が生まれた次の年の八月には、種子島に鉄砲がもたらされます。
戦国時代の大舞台から、武田信玄、上杉謙信があの世に旅立ち、本能寺の変へと歴史物語が進むと、秀吉時代が到来するのです。もしも信長が本能寺を宿舎にしなければ。物語は変わっていたことでしょう。
信長は、この本能寺の安全性には自信があった気がして仕方がないのです。
信長は京都に居城を築いていませんでした。
本能寺は四条西洞院方に四町もある広大なお寺。境内が水掘りと土塁で囲まれていました。
寺城には伽藍・厩(うまや)まであり、城の構えといっても過言ではありません。
それまで信長が京都滞在中に宿舎としていたのが、東寺、東福寺、清水寺、知恩院、相国寺、妙覚寺でした。
1582年6月2日、戦国時代最大の事件、本能寺の変は起きました。
わずか百名程の信長勢では、1万3千の兵には太刀打ち出来ません。
ただ、光秀の天下は短か過ぎました。
13日には、秀吉軍四万余りに対して光秀軍1万5千。圧倒的な強さで秀吉が勝った。
1582年の信長の死からの16年、秀吉は天下人になったのですが、後5年秀吉が生きていたら、家康が江戸幕府を開くのが遅れていた気がします。
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もしも~生きていたら~
でしょうね。。。(´д`)
今とは時の進み方が違うのか、それとも人の生き方が違うのか、5年の月日には重みがあります。