世見
2023年10月23日(月曜日)

家康の西洋人ブレーン  

徳川家康の下には、少々奇妙に思えるブレーンがいました。
南光坊天海、金地院崇伝、そして西洋人もいました。
ウイリアム・アダムスとヤン・ヨーステンだ。ウイリアムはイギリス人、ヤンはオランダ人ンで、1600年に豊後の国へ漂着したといいます。
どのような経緯で家康に仕えるようになったのか分かりませんが、外交ブレーンとして活躍したのです。
徳川家康は、日本で一番初めに西洋人をブレーンにした人だったようですね。
織田信長は諸外国の知識を得るため宣教師ルイス・フロイスと面会しましたが、ブレーンとはいえません。
ヤン・・ヨーステンは日本人女性と結婚。家庭を築いた場所が東京の八重洲。
この八重洲という地名は彼の名前が由来だと言われています。
インドへと航海した帰りに船が難破して彼は亡くなったのですが、彼と日本女性の間に子供が出来たのかどうかも知りたくなります。
ウイリアム・アダムスも日本人と結婚し、三浦按針(あんじん)という日本名を名乗っていました。どうやら昭和初期まで「按針町」と呼ばれる地名があったみたいです。
一度調べて見てくださいね。
彼は、母国イギリスに帰国できるチャンスも与えられていたのですが、家康や妻子のいる日本で暮らすことに決めたのです。
ただ、家康が亡くなった後、二代将軍秀忠に冷遇されたことで、江戸から遠く離れた長崎県の平戸で亡くなりました。
彼の息子は二代目三浦按針と名乗っていたといいますが、彼の人生はわからないかもしれません。
調べると、血を引いた人が今もこの日本におられる気がします。
家康と深き縁を築いた二人の西洋人がいたことは忘れたくありません。
日本人女性との結婚、今なら気にもとめないお話ですが、1600年代のお話です。
ヤン・ヨーステンは貿易の実務に携わり、ウイリアム・アダムスは家康の側近として働き、数学や天文学を教えていたといいます。
家康とあの世で会えたのであろう二人。
どんなお話をしたのやら。
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Google検索して出てこない情報を曖昧な書き方でなく知りたいです。