世見
2023年10月9日(月曜日)
近藤勇
近藤勇の人生って、「太く短かった」こんな思いがいたします。
近藤勇がイケメンだったら、現代人はどんなイメージをもつのでしょうか。
天然理心流4代目宗家を継いだ近藤勇。
34歳という若さで晒し首にされた近藤勇。
現在の東京都足立区の何処に拠点を置き、新入隊士を募集したのでしょうか。
大久保大和(やまと)、この名前をご存じだろうか。
勇が名乗っていた別名です。
現在のように顔写真などない時代です。首実検は人の手によるものでした。
勇の正体が明らかにされ、民家の仮牢に投じられた勇。板橋宿の馬捨て場が勇の最後の死に場所でした。
見物人が多くいる中で斬首され、首は焼酎に漬けられ京都へと送られたのです。
そして三条河原に晒し首、今では想像すら出来ません。
今から155年前の4月25日のことです。
新選組局長近藤勇は、武蔵国多摩の農民の子供でした。
「他になびき今日また何をか言はん
義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所
快く受けん電光三尺の剣
ただまさに一死をもって君恩に報いん」
<近藤勇が残した辞世の句>
土方歳三も近藤勇と同郷ですが、勇とは違い豪農の子として生まれました。
「よしや身は 蝦夷の島辺に 朽ちぬとも
魂は東(あずま)の君やまもらむ」
「鉾とりて 月見るごとに おもふ哉
あすはかばねの 上に照かと」
<土方歳三が残した辞世の句>
歳三は35歳で戦死したと言われていますが、「生き延びたのでは」と思ってしまいます。
鬼の副長土方歳三の遺体の行方は未だに不明。
ここがとても気に掛かります。
歳三は最期を覚悟したのか、それとも、海岸沿いの戦場からいずこかに頓挫したのでしょうか。