世見
2023年9月16日(土)
治水事業
「川を制する者は国を制す」
昔も今も重要な事業が“治水”です
戦国時代、甲府盆地を氾濫から防いだ霞堤などの技術を用いた「信玄堤」。
後の倒幕運動に繋がったとも言われる江戸中期の「宝暦治水」。
濃尾平野の「木曽三川(木曽川、揖斐川、長良川)」。この三川は氾濫を繰り返し、その工事に当たったのが薩摩藩でした。多大な犠牲を強いられたのですから、大変な思いをしたことでしょう。
薩摩藩士の手による木曽三川の分流工事が歴史を大きく変えた、と言っても過言ではないのではと思ってしまいます。
徳川家康と言えば利根川の「瀬替」(せがえ)です。
あの当時の利根川といえば、埼玉県羽生市付近から南に向かい久喜市を通り春日部市、そして東京湾に注いでいたのです。
利根川は、下流が鬼怒川、小貝川から続く常陸川で、上流は関宿まで沼の連続湿地帯でした。そこで家康は伊奈忠次に命じて、羽生から関宿まで新川通、赤堀川などの工事をして、常陸川への付け替えに成功したのです。
自然界が途方もない年月をかけて作った川を人力で変えてしまったことで、これからも大きな災害に繋がる気がして仕方がないのです。
阪神淡路大地震の時のことです。
新神戸駅の前を流れる生田川は人工です。
元々流れていた生田川の辺りが、あの日の地震でビルも傾きました。
江戸初期には荒川の瀬替も行われたといいます。以前の荒川は現在の熊谷付近から東に向かい、岩槻~越谷を通って吉川市辺りで古利根川と合流していたのです。今年越谷が浸水の被害を受けたのですが、もしかしたら、昔の川が流れていた辺りが浸水の原因と言うことはないのでしょうか。
荒川って今とは流れが違いました。
古利根川と合流した辺りを熊谷市の佐谷田から付け替えて、当時の入間川に合流させたりしています。
人間の手が入っていない昔の川の流れを知るといろんなことが見えてくる。
そんな思いがいたします。
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昔からテレビでよくやってる内容です。
不思議な能力とか必要ない知識です
毎日心配事ばかりを書く松原照子氏は
「起きていない未来を心配ばかりするな」
「心配事を和らげる方法」
などをよく書きます。
心配事を和らげる方法を自分で読んはいかがでしょうか