橋本龍太郎
1995年6月28日

米コロンビア大学での講演のあとの質疑応答
質問者
「日本や日本の投資家にとって、米国債を保有し続けることは損失をこうむることにならないか」
橋本龍太郎
「ここに連邦準備理事会やニューヨーク連銀の関係者はいないでしょうね。実は、何回か、財務省証券を大幅に売りたいという誘惑に駆られたことがある。ミッキー・カンター(元米通商代表部=USTR=代表)とやりあった時や、米国のみなさんが国際基軸通貨としての価値にあまり関心がなかった時だ。
(米国債保有は)たしかに資金の面では得な選択ではない。むしろ、証券を売却し、金による外貨準備をする選択肢もあった。しかし、仮に日本政府が一度に放出したら米国経済への影響は大きなものにならないか。
財務省証券で外貨を準備している国がいくつもある。それらの国々が、相対的にドルが下落しても保有し続けているので、米国経済は支えられている部分があった。これが意外に認識されていない。
我々が財務省証券を売って金に切り替える誘惑に負けないよう、アメリカからも為替の安定を保つための協力をしていただきたい」
この後、ダウ平均はブラックマンデー以来、最大級の下げを記録。
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米国に刃向かう者は、金か女性問題で消されます。
平成研所属の中原爽が再選を目指した第19回参議院議員通常選挙を直前に控えた2001年7月2日、東京都内の料亭で平成研(橋本派)会長の自民党総裁及び総理大臣経験者橋本龍太郎、野中広務元自民党幹事長、青木幹雄自民党参院幹事長の3人が日本歯科医師会の臼田貞夫会長から1億円の小切手を受け取る。この1億円の政治献金に対して、臼田は領収書の発行を要求したが、橋本派側は2002年3月13日の橋本派幹部会で、領収書を出さず収支報告書に記載しないことを決めた(政治資金規正法違反)。
2004年7月、日歯連事件に絡んで発覚した。橋本派は政治収支報告書を訂正し、橋本は橋本派会長を辞任した。
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2006年6月4日 腹痛で緊急入院
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2006年7月1日 死去 68歳
死因である腸管虚血は、原因がよく分からないこともあり、病院側の意向により、遺体は病理解剖に付された。
中川昭一
2008年10月10日
先進7ヶ国財務相・中央銀行総裁会議
リーマンショック後に
「日本は、自国の外貨準備(米国債)を使って、IMFに融資する用意がある」
通達。一方、当時の首相・麻生太郎氏は「IMFが市場で資金調達をするための担保として米国債を提供し、日本政府は財政負担なしに利益だけを得られる」
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2008年10月11日
ブッシュ政権が北朝鮮へのテロ支援国家指定解除。当時財務相の中川氏はG20訪米中で寝耳に水。
そして大統領宛に抗議
「日本はアメリカのキャッシュ・ディスペンサーになるつもりはない」
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2009年2月13日
中川昭一氏(当時、財務・金融相)は日本政府が表明していたIMF)へ1000億ドルの融資を実施する合意文書に正式に署名。1000億ドルは、日本円にして約9兆2000億円。
この融資の条件として「この支援はG7以外の国に適用する事」「支援した国に強行的な介入方法を見直す事」の2つを付けました。
これにより強国による介入無しで新興国への支援を実現させました。この融資は人類史上最大規模の物として世界中から賞賛されました。
IMFのストロスカーン専務理事は
「人類の歴史上、最大の貢献だ」
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米国は米国国債を買うことを強要
「自分たちのツケを日本に回すな」
と中川昭一は拒否。
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翌日
2009年2月14日
泥酔?会見で世界中から非難
会見当日の昼食会に同席したのは、中川大臣の秘書官、二名の財務省職員と読売新聞東京本社経済部の女性記者2人。
(読売新聞=CIA)
何かを知っているはずの女性記者2人越前谷知子と原聡子はこの会見のことを何も発言していない。
なぜか2月18日にプロフィール削除された。
中川昭一はワインに「口を付けた程度」とされており、女性記者はグラスに口を付けていない。
会見前の酒席をセットしたのは、財務省の玉木林太郎。
様子のオカシイ中川昭一を会見に出させた篠原尚之元財務官は1年後にIMF(国際通貨基金)副専務理事に出世。
玉木林太郎は1年後に財務官に出世。
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