
米の自作自演の歴史
「トンキン湾事件」→ベトナム戦争
1964年、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ軍駆逐艦に2発の魚雷を発射した。これをきっかけにアメリカは本格的なベトナム戦争に突入した。
「アラモ砦」→メキシコと戦争
1835年、当時メキシコ領であったテキサスに移住したアメリカ人達が合衆国指導のもとにテキサスの独立運動を起こしメキシコ軍と戦闘状態になった。当然アメリカは独立義勇軍に対して資金支援してバックアップしたが、多勢に無勢でアメリカの義勇兵はアラモ砦に追い詰められる。
義勇軍は何度も何度も戦況を合衆国軍に伝え援軍を待ったが、合衆国は無視し、義勇軍の全滅を待った。
そしてメキシコ軍がアラモを去った後、惨殺された義勇兵の惨状を誇大に宣伝し「アラモを忘れるな」で世論を煽り対メキシコ宣戦布告に突入した。
「メーン号事件」→スペインと戦争
(1898年、アメリカとスペインの戦争・米西戦争のきっかけを作った)
当時スペイン領だったキューバに停泊中のアメリカの戦艦メーン号が何者かによって爆破沈没され、「メーン号を忘れるな」と新聞を通じて国民感情をあおり、スペインとの戦争を正当化して開戦した。
メーン号が沈没した理由が、故障による自損事故だったことが後に明らかにされたが、これは自作自演との説もあり、フルフォード氏もビデオでそう述べておられる(70年後に、自作自演だったと公表したとのこと)。
「ルシタニア号事件」→第一次世界大戦
(第一次世界大戦中の1915年、アイルランド南岸沖を航行していたイギリス船籍客船ルシタニア号がドイツのUボートの放った魚雷によって沈没、アメリカ人128人を含む1,198人が犠牲となった)
ドイツの野蛮な攻撃に対してアメリカの世論は沸騰。これによって、それまで中立であった米国議会でも反ドイツの雰囲気が強まり、アメリカも参戦するきっかけとなった。
積み荷の保険金請求裁判の目録には船倉に173トンの弾薬があることが記入されており、当時の国際法に照らし合わせるとルシタニア号は攻撃を受けても致しかたなかった。しかしウィルソン大統領は弾薬の積載を認めず、目録を「大統領以外は開封禁止」という命令書を添えて財務省の倉庫に保管させていた。
また、最近の海底調査で沈没したルシタニア号が発見され、その船内には違法の武器と火薬が積載されていたことが判明。やはりルシタニア号は当時の国際法に違反していたことが証明された
「真珠湾攻撃」→第二次世界大戦
日本軍に先制攻撃をさせるように、ときの大統領のルーズベルトの命令を受けた太平洋艦隊司令官は、2隻の空母と新鋭艦19隻を外海に移動させ、老朽艦16隻だけ真珠湾に残した。これらの状況証拠もあって、「卑劣な日本軍の騙し討ち」はもはや古くから定番の「謀略論」であり、その後、公開となった外交文書から事実と判明している。
911同時多発テロ→アフガニスタン紛争
2001年9月11日 アメリカン航空11便ワールドトレードセンター 9時46分 突入
ドルに代わって世界通貨になる可能性のあるユーロが、2002年1月から導入されることになっていた。その3か月前に9.11が起きた。ユーロにとって最悪のタイミング。
「ナイラの嘘証言」→イラク戦争