世見
2023年6月12日(月曜日)

伊能忠敬  

昔の人は、あの蛍(ほたる)は、腐った草が生まれ変わったものだと信じていたのです。
だからね、七十二候の中の第二十六候では、「腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)」と伝えているのです。
昨日の11日から15日頃をこの言葉で表わします。
昔の人と現代人とでは、自然界の見方も随分と違うのですね。
昔の人のものの捉え方のほうが、私は好きです。
江戸時代を覗いてみても、僅か300年の差で、ビックリするくらい現代と違っています。
300年の月日は人々の思考も変化させ、生き方も変えました。
300年後の想像は直ぐに出来ませんが、2300年代、この地球での人間の暮らし方はどのようになっているのでしょうか。
江戸は日本の中心地になり、人口100万人を超える大都市になりました。家康が日本を平定し、戦国時代に幕を下ろしたから農民達が戦で大変な思いをしなくなり、農業に専念出来る様になったことも良かったのでしょうね。
「江戸時代の偉人は誰ですか?」と聞かれたら、伊能忠敬と答えたくなります。
だってね、隠居していた人が幕府から蝦夷地の測量を命じられた時というのが、50歳の時なのですよ。31歳の高橋至時に弟子入りして、測量術を学んだというのです。
1800年、江戸の高輪を出発してから、17年にも及ぶ測量人生、凄いと思いませんか。
忠敬と内弟子3人、下僕2人、忠敬は7回の測量の旅に出る時には、メンバーと富岡八幡宮に詣でたといいます。
忠敬が測量の旅に出たのが55歳だったといいますからね。
あなたは今お幾つですか?
忠敬の情熱。 
人は年齢ではありません。
忠敬は、当時距離の測定に縄を使用していたのを、伸び縮みする縄より正確に測れる鉄製にして地図の製作をしたと言います。
隠居老人が55歳から始めた偉業。
あなたも頑張りたくなりませんか?