世見
2023年5月9日(火曜日)
昭和30年代の東京
私は西岸良平先生の『三丁目の夕日』が大好きです。
私の宝物のひとつになっている、先生が描いてくださった絵の色紙は、いつも私の心を癒やしてくれています。
『三丁目の夕日』に描かれている時代は、人と人との心がごく自然にふれ合い、共に喜び、共に悲しみ、共に生きていることが実感出来た時代でした。
昭和39年10月10日に開幕した東京オリンピックは、戦後復興の天使が現れたみたいでしたね。
あの当時、男性が赤い服を着ること自体驚きだったのに、日本選手団の赤のブレザーが男性選手達を一際輝かせていましたし、選手団が着たアイビー・スタイルは流行りましたね。
今とは違い、感動が多い時代だった気がします。
三波春夫さんの『東京五輪音頭』をソノシート版で聴いたのがとても懐かしいです。
この「ソノシート」は、今はもう死語になっていることでしょう。
昭和30年代前半、新宿駅西口には商業施設がありませんでした。
37年に小田急百貨店がオープン、38年には京王百貨店が建設され39年に開業しました。
オリンピックとは関係ないかもしれませんが、東京は大きく変化し始めたのです。
今では想像も出来ないのが、昭和30年代の東京は、23区といっても農村の雰囲気が残る地域がありました。
板橋区北西部には、東京の米処と言われた広大な「徳丸田んぼ」があったのです。
この田んぼがあった場所は、どうも高島平団地辺りのようです。
石神井川沿いには牧場もありました。
東京は、あれよあれよという間に今の大都会へと変貌してしまいました。
現在の東京も、後50年もすると、今とは随分と変わっているかもしれません。
ただし、大地震で変化するのだけは、神様どうかお許しください。
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