東京都の新型コロナウイルス新規感染者が過去最高の367人を記録した7月30日、完成したばかりの日本財団災害危機サポートセンター(品川区東八潮)がメディアに公開された。
同施設は、病床不足による医療崩壊を回避するために日本財団(港区赤坂)が設置。船の科学館の敷地内にある日本財団パラアリーナにベッド100床、駐車場には個室型プレハブハウス140室150床を整備し、宿泊療養する無症状や軽症のコロナ患者を受け入れる。感染拡大状況によっては、最大600床まで増やせるように想定しているという。医師や看護師が待機する600平方メートルの大型テントは、物資の搬入など作業スペースとしても活用が可能だ。
8月中に東京都へ引き渡される予定。7月中旬以降、緊急事態宣言が発令された4月上旬から5月頭を超える新規感染者数が出ている中、第2波に耐えるためのバックアップとなる。
「使われないことが願い」から「すぐ活用してほしい」へ
この緊急対策を日本財団が発表したのは4月3日。感染者が増加し始めたことで病床不足が懸念材料となり始め、加藤勝信厚生労働相が無症状や軽症者を自宅やホテルなどで療養させる方針を表明したのと同日である。
当初は同施設内に1200床を設置する構想で、日本財団の笹川陽平会長は「詳細は走りながら考える」とし、会見の最後には「計画している施設を使わずに済むことが最大の願いだが、備えが重要であることから、決断した」と語った。
2004年12月、ミサワホームホールディングスは産業再生機構による救済対象となったが、2008年に本社社長に登用された。
2014年住宅生産団体連合会副会長。プレハブ建築協会副会長等も務め、2017年春の褒章では藍綬褒章を受章した。同年ミサワホーム取締役会長。
家族
一般的な仮設住宅が供給される仕組みとは?
鉄骨プレハブ工法による一般的な仮設住宅が供給される経緯をみてみましょう。都道府県知事が災害救助法の適用を判断し、適用し仮設住宅の建設が必要とされた場合、(一社)プレハブ建築協会に建設が要請されます。ミサワホームとは、三澤千代治によって1967年に創設された日本最大の住宅メーカーで、「プレハブ住宅」に目をつけいち早く取り入れて耐久性やデザイン性に優れた商品開発に対して力を入れ、短期間で業績を伸ばし1971年に上場し、上場企業の取締役としては当時史上最年少の年齢で上場した会社だ。
そんな会社と今回のテーマである竹中兄弟とどのように関係が存在しているのか、そして竹中が当時使った「権力」を利用した会社潰しの実態などについてお伝えしていく。

上記で説明したように軌道へ乗っていたミサワホームだが、三澤千代治の右腕でもあった山本という専務が日航機墜落事故によって亡くなり、その影響からバブル崩壊時の危機を乗り越えられず、とうとう経営悪化の道を辿ることとなる。
そんな苦難に突入していたミサワホームに対して、更なる苦難となったのが「不良債権問題」だ。(過去記事:不良債権問題の隠れた主役)
当初はトヨタ自動車による救済案が飛び出し、三澤は「トヨタから我々が学ぶことはない」と発言していたが、産業再生機構による支援策が浮上すると、「産業再生機構に入れば信頼が失われる」との見解から再生機構を通さない形でのトヨタによる買収案が決定的となっていた。
しかし、当時のトヨタ自動車:奥田会長の「(ミサワホームの救済は)産業再生機構に行ってからの話だ」というパーティーでの発言により事態はまっさらの状態へと戻る。(※①)
そこで動き出したのが、当時ミサワホームの東京地域販社社長であった竹中平蔵の兄である竹中宣雄だ。

彼は三澤千代治に対して、『弟(竹中平蔵)と話しているが、一度トヨタの社長と話してもらいたい』「産業再生機構を活用すれば良いではないか」と訴え続けたのだが、竹中平蔵が兄を介して行った行為は「公務員職権濫用」という法律違反であり、三澤千代治も怒りを述べ、警視庁へ刑事告訴を行なった事態にまで発展したのだ。
そして、最初に取り上げた写真に示してあるUFJ銀行がミサワホームへ不良債権を肩代わりさせた事件が決定打となって、2004年12月産業再生機構による救済が決定したが、その後トップへ就任したのは竹中宣雄であるという始末だ。
不良債権の肩代わり、竹中兄弟の協力作業、これらが回り回って再生機構送りになった訳だが、ここで協力関係にもなったUFJ銀行と竹中平蔵の関係(特に大阪カジノでの繋がり)には今後も注目であろう。
ミサワが産業再生機構に送られるきっかけになったのは、2005年3月期の中間決算が突然、修正されたことだった。2004年11月19日に発表さ れた中間決算では、経常利益220億円、税引き後利益100億円が計上された。産業再生機構に送られる決算ではなかった。
それが、12月7日に突然修正され、税引き後利益が5.5億円に下方修正された。この決算修正により、ミサワホームは過大債務を抱えることになり、産業再生機構送りされることになる。
ミサワホームの監査法人は中央青山監査法人で、ミサワホームの三澤千代治氏は理事長の上野氏と親交が深かったが、上野氏は2005年5月に理事長職を辞任 している。後任の理事長に就任したのが、奥山章雄氏である。奥山氏は竹中金融相が組織した金融再生プロジェクトチーム、および「金融問題タスクフォース」 のメンバーでもあり、公認会計士協会会長として、「りそな銀行」の資本不足問題に、重大に関与した人物である。拙著『知られざる真実-勾留地にて-』にお いても、キーパーソンとして登場する。
UFJ銀行の解体、東京三菱銀行との合併、合併のスクープ報道、トヨタグループによるミサワホームの買収、など、解明しなければならない闇は果てしなく大きい。(後略)2008年10月18日 (土)竹中経済金融行政の深い闇》