世見
2023年1月17日(火)

イラク戦争  

阪神淡路大震災から、今日で28年も経つのですね。
お亡くなりになられた方が6434人もおられ、犠牲者の約8割が建物の倒壊などによる圧死だったといいます。
私は当時、大阪の吹田市に住んでいました。
地鳴りが聞こえてから直ぐでした。立て揺れが始まり、家具が倒れました。
マグニチュード7.3であの揺れです。
東日本大震災のマグニチュード9.0が、いかに超巨大地震だったのがわかります。
1月17日と言えば、多国籍軍がイラクを空爆したのも32年前の今日です。
テレビで見た人も多くいたと思いますが、闇夜の爆撃はまるで映画を見ているようでした。
「湾岸戦争」はイラクによるクウェート侵攻から始まりましたが、多国籍軍という大義名分で、イラクにクウェート撤退を勧告、そしてイラクを空爆したのです。
日本は資金援助という形で多国籍軍に関わりました。
イラクがクウェートや自国内にいた外国人を人質にして抵抗していた時、昨年亡くなられたアントニオ猪木氏(当時参議院議員)が日本人解放に尽力されたのをご存じの方も多いと思います。
この戦争で、翌月にはフセイン大統領は敗北を認めたのです。
やがてイラク戦争へと向かいだし、この時はまだサダム・フセインはイラク戦争の折り、自分が逃亡を図るとは思っていなかったことでしょう。
多国籍軍がイラクを空爆したのが1991年1月17日。この日から12年が経った12月13日、フセインはイラク中部ダウルの家の地下壕に隠れているところを発見され、米軍が管理する収容所に入り、日々尋問を受ける毎日だったのです。
2006年12月30日、フセインは米軍の収容所からバクダッドの刑務所に移送され、絞首刑が執行されたのです。
69歳でした。
四半世紀にわたりイラクを独裁支配してきたフセインの最後が絞首刑だったとは、虚しいものですね。