世見
2022年11月29日(火)
伊達政宗
“霜が降りるようになる月”という意味で付けられた霜月も明日で終わりです。
秋から冬へと季節が移り変わる今日のような日は、戦国時代の人々の生き様に思いを馳せてみるのも乙な物だと思います。
戦国時代といえば、あなたはどなたを思い浮かべますか?
お洒落な男の人のことを、昔の人は「伊達男」と言っていました。
きっと、あの伊達政宗から来ているのでしょう。
山形県の米沢に生まれた伊達政宗は、18歳で当主になり、5年間で奥羽統一を果たしたというのですから、中々の知恵者だったのだと思います。
幼少の頃、右目を失明したものの、独眼竜なる名で恐れられた政宗は、天下人を目指したひとりだと思っています。
本能寺の変で織田信長が倒れなかったら、この伊達政宗はどのような動きを見せたのでしょうか。
もしも10年早く政宗が生まれていたら、と思うことがよくあります。
もしかすると、戦国物語は随分と違っていたことでしょう。
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もしもシリーズ
あと数年生きていたら。。。
あと数年早く産まれていたら。。
あのとき、こうしていれば。。。
タラレバ。。
本能寺の変が起きたのが1582年、政宗18歳、伊達家の当主になった時でした。
本能寺の変から3年後、豊臣秀吉が関白になり、政宗から天下取りの夢は消えたのかもしれませんが、秀吉は政宗が嫌いと申しますか、伊達家の征伐を決めていた気がするのです。政宗といえば、水引で髪を束ね、死装束で秀吉の前に現れたという名場面は、見応えがあったと思います。
この時、150万石あった政宗が72万石になったのです。
宮城北部で起きた一揆は政宗が扇動していたと私は思っていますが、秀吉との相性は悪かったものの、政宗の度胸の良さに、秀吉はいつも負けていた気がします。
ローマ法王に書簡を渡した政宗は、大阪の夏の陣をどのように思っていたのでしょうか。