11+11=22(フジ)
(表)+(裏)
富士(ニニ)は晴れたり日本晴れ
いよいよ次の仕組みにかかるから、早う次の御用聞いてくれよ、
けるぞ、
山晴れ、くに晴れ、海晴れて、始めててん晴れるぞ。



かけまくもかしこき

日不見ひみずの神よ。
とお御祖みおや産土うぶすなよ。
久しく拝領はいりょうつかまつったこの山河やまかわ
かしこみかしこみ、
んでお返し申す。




火水の神



食性は雑食性で、昆虫類クモムカデミミズなどの小型土壌動物植物種子果実を食べ[2]小麦粉大豆大麦などで採集することができる



死者の世界「常世」からすずめ達の世界「現世」へやってくるミミズ。開いた後ろ戸から少しずつ空中に出て行って膨らみ、重さに耐えきれなくなると落ちてきます。

ミミズが落ちると地震が起こる。



鹿島神宮の要石が大ナマズの頭を
香取神宮の要石が大ナマズの尾を押さえている

香取神宮の要石
鹿島神宮の要石




岩戸隠れで天照大御神天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、神々は大いに困り、天の安河の川原に集まって会議をした。思金神の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行った。

『古事記』では次のように記述されている。 「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」 つまり、 アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を女陰まで押したれて、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせた。その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメは言って、天手力男神に引き出して貰って、再び世界に光が戻った。



鎮魂祭(ちんこんさい、みたましずめのまつり)とは、宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式である。宮中三殿に近い綾綺殿にて行われる。一般的ではないものの、宮中と同日に行われている石上神宮や、彌彦神社物部神社など、各地の神社でも行われる例もある(うち彌彦神社は年二回)。天皇に対して行う場合には「みたましずめ」「みたまふり」と言う。鎮魂祭はかつては旧暦11月の2度目のの日に行われていた[1](太陽暦導入後は11月22日)。この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であり、太陽神アマテラスの子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられる。また、新嘗祭(または大嘗祭)という重大な祭事に臨む天皇の霊を強化する祭でもある。

鎮魂の儀では、宇気槽(うきふね、うけふね)と呼ばれる箱を伏せ、その上に女官が乗ってで宇気槽の底を10回突く「宇気槽の儀」が行われる。これは日本神話岩戸隠れの場面において天鈿女命が槽に乗って踊ったという伝承に基づくとされている。『古語拾遺』に「凡(およ)そ鎮魂の儀は、天鈿女命の遺趾(あと)なり」とある。かつてこの儀は、天鈿女命の後裔である猿女君の女性が行っており、「猿女の鎮魂」とも呼ばれていた。


大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。


日月の十(神)

嘘の世界を戸締まりして

真実(マコト)の世界の言戸開き


0~九十(マコト) 0から十の十一

表裏合わせてニニ


ニニ(富士)は晴れたり日本晴れ


監督 新海誠  新しいアマ(天)のマコト