世見
2022年10月12日(水)


コンピュータ社会  

大型のショッピングモールを歩いていると、「ここって日本よね」と思うことがあります。
店名の殆どが横文字なのですものね、何故か漢字や平仮名が懐かしくなります。
このままで行くと、後20年もすれば横文字だらけになりそうです。
ただ、今のところ、食事処は漢字や平仮名がまだ多く、私はホッとします。
昭和生まれからすると、日本語が看板に書かれていた時の方が人間味を感じます。
映画館だって看板は手描きでしたから味がありました。
今は、描きたいものの言葉を入力するだけで、AIが絵を描きあげる時代になりましたが、ひとりひとりの個性が消えていく気がして残念です。
私のように、原稿用紙に向かい字を埋めていく人も少なくなったことでしょう。
でもね、こうして書くから、心が考えと合体出来ていると思っています。
そりゃね、パソコンを使い文章を仕上げるほうが、スッキリして読みやすくなることでしょう。
でもね、年賀状に直筆を見付けると嬉しくなるように、直筆には人の温もりがあります。
AIがジワリジワリと人間の喜びのひとつである創作意欲を奪って行くことになるのでしょうね。
何故か恐ろしさを感じます。
コンピュータに、人間と同じような判断や推論なる能力を持たせるというのでしょう。
コンピュータが直ぐに犬と認識出来るまで、どれくらいの手間がかかるのでしょうか。
私達人間が難しいと思っていたことをコンピュータが判断出来る世の中になると、ノーベル賞はコンピュータが手にする日が来るかもしれません。
ただね、コンピュータは、考え付いた答に喜びは感じないだろうし、何故そのような答を出せたかはわからないことでしょう。
ある日、スマホが先にご主人様の考えをわかる日が来るのかもしれません。
恐ろしいことです。