世見
2022年9月25日(日)


巣鴨拘置所  

9月をアッという間に駆け抜けようとしている私ですが、いつもこの世見(よけん)をお読みくださり、心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。
毎日、書くテーマは決まっていません。
原稿用紙に向かううちに、書きたいことが浮かんで来たりもします。
ありがたいことに、何を書こうかと思っていると、不思議な世界の方々の応援が入ったりします。
「あら、なんだこれ!」
突然ですが、サンシャインシティは「巣鴨拘置所」の跡地だったのですってね。
↑↑
こんな浅い情報、不思議な世界の方々は必要ありませんよ。。(´д`)


昭和27年の4月、日本が6年8ヵ月振りに主権を回復出来たのは、講和条約が発効されたからです。でも、この時、社会から隔離されて服役しなければいけない戦犯が1千2百人余りもいたというのです。
とても気の毒な“戦犯”と言われる人々の心を慰めるために、多くの有名人が慰問に赴いたのが巣鴨拘置所だったのです。
当時の国民は、戦犯と呼ばれた人達に申し訳のなさを感じていたことが、多くの有名人が慰問したことでもわかります。
講和条約締結後も、引き続き服役しなければいけない戦犯に、国民は同情しました。
早期釈放を求める国民運動が起こり、署名が4千万人も集まったのです。
何故、今日このようなことを書くのかはわかりませんが、戦犯と言われて拘束されていた人々がこんなに多くいたことに驚きます。
昭和27年といえば、私は6歳でした。
戦争が終わり、日本が大きく変化し始めた頃です。
これからの世界は、「戦争」に怯える国も出て来るかもしれません。
でも、人の人生を弄ぶ戦争が又起きるのが先か、自然災害の脅威を目にするのが先か、どちらにしても、人の心の有り様が大きなカギになると思っています。