世見
2022年7月17日(日)


イエス・キリスト  

イエス・キリスト時代に行ってみたくなりました。
理由は特別ありませんが、今もなお多くの人々がイエス・キリストに魅力を感じて、その教えを守っているからです。
イエスというのはギリシャ語だと、不思議な世界の方が教えてくれました。
イエスは、貧しい大工の息子として生まれました。
古代の予言者が体験したとされる神にも会えたのでしょう。
とても信心深かったイエスは、トーラの掟を真面目に守る青年だったといいます。
ハスモン王朝以来、メシア(救世主)到来の思惑がユダヤの民衆に行き渡っていた時に、メシアの到来が近いことを予告する人が現われました。
ユダヤ人の洗礼者・ヨハネです。
イエスはこの話を聞いて体に衝撃が走り、今度は自分がメシア到来の知らせを説くべきだと思ったのでした。
イエスはガリラヤ中を歩き回り、神の前で人は正義と平等を行うべきだと説いて回ったのです。
すると、たちまちイエスは人々の心を捉え、彼の説教は貧しい人々にとって生きる希望になって行きました。
貧しい人々の間では、この時メシアが現われたと思ったことでしょう。
イエスの人気は、同時にユダヤの有力者やローマから疑いの目を向けられることになって行ったのです。
不思議な世界の方の話では、メシアとして歓迎されたイエスですが、自分ではメシアという意識はなく、祭りを祝うためにエルサレムに行った時にもそんな思いはなかったようです。
ただ、当局者に逮捕され、“偽りの預言者”と断罪された時、体に神が下りた気がして、メシアの意識が芽生えたのだそうです。
イエスは神の祝福を感じたといいます。
どんな感じなのかわかりませんが、死しても自分の名が残るのを感じていた気がします。