2012年の話しをこのタイミングで出す週刊誌
そして、前日の夕方に長野から奈良へ予定変更する
誰も応援に行かないのならまだ理解出来るが、なぜ麻生太郎は変更しなかったのか?
奈良行き指示をしたのは茂木幹事長
同じ場所で茂木幹事長は2021年6月に演説している。
立憲民主党の議員らは、ここの場所は危ないからと警察に拒否されている。









今回の事案が11時30分すぎに第1報が入り

「警護計画書 目を通し承認したのは当日」

「今回の遊説は、前日に入ったこともあり、通常、ある程度早めに入ってくるような警護の計画と策定の時間は異なっていたが、いかなる状況においても、所要の体制を確認してしっかりとした警護警備を行うのが当然だ。今回、話があってから警護を担当する部局で、状況を確認し、体制を確立し、配置を検討し、警護計画書を作ったという流れになっており、私自身が計画書を目を通し承認したのは当日だった」
警備関係者によりますと、当時、現場には警視庁の専属のSPが1人配置されていたほか、奈良県警の私服の警察官なども含めると合わせて数十人の警備態勢でした。

安倍元総理の後ろ側にも警察官が配置され、周囲を360度警戒していたということです

司法解剖の結果、死因は1発の銃弾が左右の鎖骨の下の動脈を傷つけたことによる失血死

奈良県立医科大学附属病院は8日午後6時10分ごろから、吉川公彦 病院長と治療に当たった救急医学の福島英賢 教授が記者会見を行いました。

この中で、福島教授は「安倍元総理大臣はきょう午後0時20分に心肺停止の状態で搬送され、くびに2つの銃創があり、心臓と胸の大血管が損傷していた。止血と大量の輸血の治療を続けたが、午後5時3分に失血死で、死亡が確認された」と明らかにしました。くびの2つの銃創はいずれも体の前側にあり、左肩には銃弾が抜けたと見られる傷があったということです。

福島教授は「搬送された時、救命はかなり厳しい状態で、銃創は心臓に達する深さだった。20人以上の態勢で手術を行い大きな傷は塞ぐことができたが残念ながら心拍は戻らなかった」と述べました。
奈良市消防局に通報があったのは8日午前11時31分で、
▽救急隊などは1分後の午前11時32分に出動し、
▽午前11時36分にドクターヘリを要請しました。

そして、▽午前11時37分に救急隊などが現場に到着し、
15分後には元自衛隊と発表される違和感



▽到着から17分後の午前11時54分に現場から安倍元総理大臣を搬送しました。
その後▽午後0時9分にドクターヘリに引き継ぎ、
▽午後0時20分にドクターヘリは搬送先の医療機関に到着したということです。
自民党奈良県連は、午後1時ごろから堀井巌 参議院議員らが奈良市内の事務所で記者会見を行いました。
12時39分
逮捕されたのは40代の山上徹也容疑者
後ろから散弾銃で撃たれた
この中で堀井議員は午前11時10分ごろから、参議院選挙の奈良選挙区に立候補している自民党候補者の街頭演説を行っていて、安倍元総理大臣は午前11時19分ごろに到着したということです。その後、しばらく集まった聴衆に手を振るなどしていましたが、午前11時29分ごろに応援演説を始めたと説明しました。そして、その直後の午前11時半ごろ、発砲があったということです。

また、「安倍元総理大臣が話している時に突然、大きな音が2回鳴り、その後、安倍元総理大臣が倒れた。救護の人たちが心臓マッサージをしていたが、受け答えをしている様子は、私が見ている範囲ではなかった」と述べました
街頭演説に立ち会っていた堀井議員は自民党奈良県連の記者会見で「聴衆は両脇の歩道にいた」と述べました。そのうえで、安倍元総理大臣らが演説を行っていた背後は車を駐車していたため、聴衆が立たないようにしていたことを明らかにしました。そして「演説の時は皆、同じ方向を向いていた」と当時の状況を説明しました

また、安倍元総理大臣が演説に訪れることは、7日午後に決まったと説明しました。その後、地元の支持者らに日程を周知していたということです。現場ではスタッフ15人が演説を聴きに来た人の整理にあたっていたということです。
発砲が起きた当時、近くにいたという女性は「安倍元総理は普通に演説していたが後ろから男の人がきた。1発目はとても大きな音だけが聞こえて人が倒れるということはなかったが、2発目が撃たれた瞬間に安倍元総理が倒れた。周りの人たちが大勢集まって心臓マッサージなどをしていた。男は上がねずみ色のTシャツで、下は黄土色のズボンという服装に見えた。男は逃げる様子もなく、その場にとどまっていて銃はその場においていた。そのあと周りを取り囲んだSPとみられる人たちに取り押さえられた」と話していました。

安倍氏は当初、8日は長野県に入る予定でしたが、各地の選挙情勢などを踏まえて、みずからが率いる派閥の所属議員が立候補している奈良県や、派閥議員が地方組織の会長を務める京都府などを訪れる日程に変更した
首に2カ所の銃創があり、一部は胸や心臓に達して、周囲の血管が損傷していたという。

 安倍元首相の治療にあたった同大付属病院の福島英賢教授によると、安倍元首相の死因は、心臓と、胸部の大血管損傷による失血死だったという。前頸部に2カ所銃創があり、その傷の深さは心臓に達し、心室に穴が開いた状態だったという。

「心臓の傷自体は大きなものがあった」(福島教授)

 さらに、福島教授は「左肩の前部に射出口のようなものがあったそこから1発の弾丸が体外に出たのではないか」と話した。一方で、もう1発の弾丸については、「手術中に体内では見つかっていない」とした

止血がコントロールできた所もあったが、大量に出血しており、すでに血液が凝固する力を失っている状態でした。ある程度大きな血管の止血はできたものの、完全に止血をできたとはいえない状態。残念ながら心拍は再開しませんでした」

右頸部(けいぶ)に銃創と出血、左胸に皮下出血があるという。

男が銃のようなもので2発撃ち、2発目が背後から安倍元総理の左胸や首にあたったということです

通常は警護対象の後ろの左右に2人SPが立ち、1人は前面、1人は背面を見るのが基本です。



直選的な動きをしている人物(ターゲットに向かう動き)は警察が不審に思い、絶対に声をかけるといいます。また、犯人はおそらく現場を事前に見ていたはずで、その際に「職務質問」はできなかったのでしょうか。
午後5時3分に死去したことを報告した。「失血死」だったという。安倍氏の体には、首の根元に銃創と思われる傷が2つあり、頸部から胸に向かった傷は心臓の大血管に達する深さだったと話した。

銃は手製で、銃身とみられる2本の筒をテープで束ねたような構造だった。一度に複数の弾を発射していた可能性があり、奈良市内の自宅からは似た手製の銃のようなものが数丁押収された。県警が鑑定して殺傷能力の有無などを調べている。

 山上容疑者は、自宅最寄り駅の近鉄新大宮駅から大和西大寺駅に移動し、安倍氏に向けて2回発砲。両駅の防犯カメラに同容疑者の姿が映っていた。司法解剖の結果、安倍氏には少なくとも銃弾2発が命中していたことが判明した。このうち左上腕部から入った1発が、体内で左右の鎖骨下の動脈を損傷し、致命傷になったという。首には傷が2カ所あり、うち1カ所は銃弾によるものと確認された。

 捜査本部のある奈良西署には9日午前、現場近くにあった自民党の選挙カーが運び込まれた。県警は、看板に数カ所あった穴を弾痕と確認した上で事件との関係を調べている。自民党関係者によると、選挙カーは現場から約20メートル北側の車道脇に止まっていた。

「安倍元首相が宗教団体とつながりがあると思って犯行に及んだ」と供述。「政治信条への恨みでやったわけではない」

「銃1丁に3本の筒が付いている。1本の筒に6発の弾丸が入っている」という趣旨の話をしているということです。

左肩に一か所、首に2か所、銃創が確認

病院によると、安倍氏の首の右前部に約5センチの間隔で2カ所の小さな銃創があった。銃弾が首から体内に入り、心臓と胸部の大血管を損傷したとみられる。心臓の壁には大きな穴が開いていたという。左前肩に銃弾が貫通したとみられる傷が一つあったという。体内から銃弾は発見されていないという。

 安倍氏は午後0時20分に心肺停止の状態で病院に運ばれ、死亡するまで心肺停止の状態が続いたという。病院は外来処置室で20人態勢で治療に当たった。手術では胸部を開き、出血点を探して止血するとともに、大量の輸血をした。輸血量は100単位以上だったという。

県警によると、選挙カーは当時、安倍氏の前方に止まっていたという。屋根に設置した看板に、貫通しているような穴が数カ所あいているのが見つかった。



流れ弾の一部は、安倍氏が撃たれた場所から約30メートル先の路上に止まっていた自民候補の選挙カーの看板を貫通していた。山上容疑者は安倍氏を襲う前日7日未明にも、「奈良市内の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連施設で試射をした」と供述。施設隣の民間ビル1階でドア付近に集中して弾痕のようなものが確認された。
7/13
現場の北約90mにある立体駐車場の壁面で、弾痕のような穴を3カ所確認したといいます。

大阪府内の人材派遣会社に登録し、2020年10月~2022年5月まで京都府内の工場で平日の週5日間勤務し、奈良県の自宅からマイカーで通勤していたということです。

山上徹也容疑者はフォークリフトで倉庫の荷物を運ぶ仕事





2022年8月8日

アメリカのトランプ前大統領は8日、声明を発表し、南部フロリダ州にある自宅の「マー・アー・ラゴ」にFBIの捜査員が捜索に入ったと明らかにし、「私の美しい家が大勢の捜査員によって包囲され、捜索され、占拠されている。アメリカの大統領にかつてこのようなことが起きたことはない。彼らは私の金庫までこじあけた」と批判しました。