世見
2022年7月4日(月)


世界一の大国になるために  


今はコロナ禍で、以前のように世界中を自由に行き来できなくなりましたが、中国・後漢帝国の光武帝の時代、日本からの使者が後漢の都・洛陽を訪れているのですよね。
凄いと思いませんか。
どれだけ時間がかかったやら。使者はというと、北九州にあったといわれる奴国(なこく)人、使者は「漢委奴国王印」(かんのわのなのこくおういん)を光武帝から与えられました。
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そろそろ予知能力でハッキリと邪馬台国の場所を書いたらどうでしょう?
不思議な世界の方々に聞いたらどうでしょう??


この時代、中国大陸に於いて、漢帝国はかなりの威厳があったのでしょう。
でもね、今なら直ぐに世界中のニュースが飛び込んできますが、あの時代ですよ。北九州まで、後漢帝国の存在が伝わっていたのですから驚きです。
奴国の王は、どうして漢帝国に認めてもらいたいと思ったのでしょうか?
王としての権威付けだとしたら、漢帝国の配下になってしまうことになるのでは、と思ったりもします。
月に旅立ちが出来るかという現在に於いても戦争はなくなりませんが、あの時代、漢帝国はモンゴル高原の匈奴(きょうど)と争っていましたからね。
最近特に思うのですが、人間って戦うことが好きな生物なのですね。
歴史を振り返ると争いばかりが出て来ます。
紀元前3世紀になると、東アジアには二つの大国が勃興しようとしていました。
中国大陸では、秦が中国大陸の有力国を滅ぼし、中国大陸を統一しました。
もしもあの時代、秦が日本をターゲットにしていたら、今頃はどのようになっていたのでしょう。
現代の中国は、香港の民主化運動を見ても、これからの10年で大きく変えようとする勢いを感じます。
もうすでに中国は、アメリカを抑えて世界一の大国になるための計画が出来ている気がしています。
「人民元」の動きが気になります。