世見
2022年6月25日(土)


アレクサンドロス大王  

警察のことを“ポリス”と呼びますが、ポリスとは市民の共同社会のことで、「都市国家」という意味だそうです。
都市国家とは、市民の、市民による、市民のための共同体のことです。
ペルシア帝国の前にはギリシアが広がります。
ここでポリスの建設が進んだのが、紀元前8世紀頃のことです。
市民がポリスを運営し、自分達の手で外敵から守ることは、非常に大変でした。
こうしたことからPOLICE=警察という意味になったそうです。
この度の、ロシアがウクライナに侵攻した出来事を見ていましても、人類は戦争が好きなのだということがわかります。
歴史を見ても、滅亡した帝国や王国の多くは戦争が原因でした。
日本が弥生時代だったころ、中国は戦国時代でしたし、アレクサンドロスの大帝国も存在していました。
マケドニア王国のアレクサンドロス大王は、アジアとヨーロッパの分かれ目のダーダネルス海峡を前にしていました。
目指すは東方ポリスの建設、迎え撃つはペルシア軍。これが「イッソスの戦い」です。
この戦いはアレクサンドロス大王軍の勝利。イッソスの戦いの翌年にはエジプトに東方ポリス第1号を建て、その後は全土に70を超えるアレクサンドリア市が誕生しました。しかし、大王に変化がやって来ます。
エジプト王である自分は神の子、神の代理人と言って、自分を神格化し始めました。
ギリシアのポリス精神とは違った方向へと進んだのです。
集団結婚式も実行、東西民族の融合政策に思われますが、征服したペルシア人女性を分け合う儀式だったと思います。
この集団結婚式の翌年、アレクサンドロスの大帝国が滅亡する時がやって来ました。
大王の死です。32歳でした。 
大王の死骸は埋葬されず、30日間ほったらかしでした。
その後、大帝国は大王の側近達によって壊されたのです。