世見
2022年2月24日(木)


毛沢東  

こんなにも地球には人がいるというのに、その中で名を残す人がいます。
人の生き方までも変える人もおられるのですから、人にも差があります。
でも、どんなに有名人であっても、皆どなたかにオムツを替えてもらっています。
私達と何処が違うのでしょうね。
その時の時代背景もあるでしょう。
その人の運というのもある気もします。
でも、“人との出会い”が一番のように思うのです。
出会いというのは不思議だらけです。
親子としての出会いもあれば、友としての出会い、夫妻としての出会いもありと様々ですが、出会いという縁は大きく人生を彩ります。
稀代な革命家と言われた毛沢東も、父の影響を受けた一人にも思います。
6歳年上の羅一秀との結婚を、父はどういう思いで勧めたのだろうか。
それも14歳の時にです。
毛沢東の82年の生涯から、私達は何を学べるのでしょうか。
人生には、生き方を左右するポイントが幾つかやって来ます。
親子の縁は変えられないものの、人との縁は切ろうと思えば切ることが出来ます。
毛沢東を評する時、革命家とも、大悪人とも言われます。
では政治家として、指導者として、いったい何をしたのでしょうか。
結婚で見ると、28歳の時2度目の結婚、3度目の結婚は38歳でした。4度目の結婚は江青で46歳の時でした。
毛沢東にとって、女性とはどのような存在だったのでしょうか。
4人の妻を持ち、3人の愛人もいたとも。一説にはそれ以上の女性関係があったとも言われるのですからね。
二番目の妻だった楊開慧(ようかいけい)は29歳の若さで処刑されてもいます。
毛沢東にとって女生とはどんな存在だったのだろうか。