世見
2022年2月18日(金)


エルサレムのイエス  

イエスの魅力がどれ程溢れていたのかはわからないが、群衆が棕梠の枝を振って、熱狂的にエルサレムに迎い入れたと言われているのだから、凄い人気者だったのがわかる。
今とは違い、どのように人々に名が広がったのかはわからないが、ガリラヤとエルサレムでの活動のために働くことであろうイエスの名は、充分知られていたという。
彼の存在と生活は、エルサレムの貴族や指導者や民衆までもが知り得たという。
祭司貴族達は、イエスのことを“神殿宗教の批判者”と見ていたことだろう。
ところが民衆はというと、イエスに、いままでになかった新しい何かを感じ取っていたと思われるし、社会から見放された罪人や病人はイエスの中にある愛の力を見付けていたことだろう。
イエスに対しての民衆の熱狂ぶりを見て、支配者達は脅威を感じたことと思われるのだ。
マルコという人の福音書によれば、パリサイ人・ヘロデ党の人々によって、イエスの殺害計画が立てられていたという。
イエスはデカポリスを南下し、ヨルダン川を西へ渡り、スキトポリス辺りに出てサマリヤを通りエルサレムに入った。
エルサレムに入ったイエスは、大群衆に取り囲まれたために、反対者達からは何もされなかった。
そんな中で、イスカリオテのユダが敵の首謀者と取引をした。
食事を終えベタニヤへ帰る途中、ゲッセマネの園で、ユダの裏切りによってイエスは逮捕された。
捕縛されたイエスは、長老、祭司長、律法学者達議員によって反逆の罪が確定。
ユダヤ人の王という反ローマ暴動の首領を意味する罪名で、十字架刑の判決が下された。
イエスは十字架を背負わされ、ゴルゴタの丘に引かれて行き、十字架の上で息を引き取られた。