世見
2021年11月12日(金)
宗像大社沖津宮
秦の始皇帝時代のことです。
人間誰しもが願う“不老不死”の薬を求めて、東の海を旅したと伝えられています。
徐福という人物は長らくの間伝説の人物でしたが、住んでいたという村が見付かりました。
その場所というのが、江蘇省。
でもね、こんな説もあるのですよ。
徐福は神武天皇という説。
本当か否かはわかりませんが、不老不死の薬が見付かると地球ってどのようになるのでしょうか。
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そんなものないですよ(笑)
不老不死の薬があれば、人間も動物も子孫を残さなくなるでしょうね、、成長、進化もしなくなるでしょう
亡くなる人がいない世界って想像すら出来ません。
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心は無限、肉体は有限
無と有でひとつ。ウム=有無=産む=生む
男と女 右と左 表と裏
プラスとマイナス
全ては2つでひとつ。
海を隔てた隣国である日本と朝鮮半島。
日本書紀によりますと、神功皇后によって新羅出兵が行われ、新羅・高句麗・百済が日本に降伏し朝貢した、と伝えられています。
今では朝鮮半島といえば韓国と北朝鮮ですが、新羅・高句麗・百済時代がありました。
玄界灘の絶海の無人島だった沖ノ島には、4世紀後半に行われた祭祀遺跡があります。
宗像大社沖津宮のことです。
巨石の上に祭壇を築き、銅鏡、碧玉製腕飾り、滑石製祭具、武器、工具など、奉献されたものが残されているのです。
この島は、九州から朝鮮半島、大陸に通じる最も大切な海の道で、人々は安全を祈願したのでしょう。
当時とは違い今では乗物が便利になりましたが、古墳時代のことですから、玄界灘もさぞや荒海だったことでしょう。
でもね、人々は文明や技術を取り入れて発展に努めていました。
勿論一方的に取り入れたのではなく、倭も大陸へ情報や文物を伝えていたことでしょう。
ただ言葉の壁をどのように乗り越えたのか知りたくなります。
日本が古墳時代、朝鮮も中国も生きることが大変だったことでしょう。