松原照子世見
2021年9月12日(日)


織田信長  

親のいない人は誰もいません。
私のように、生みの親と、育ての親がいる人もいます。
私も親になりました。
「縁」と一言で言いましても、親子の縁ほど深きモノはありません。
秋が日増しに深まり行くにつれて、人恋しさや、人の温もりが恋しくなります。
今日は、お父さん、お母さんを想ってみませんか。
「もう一度会いたい」と思えども、お父さんとお母さんに会えない人もおられることでしょう。
お元気に過ごされておられるお父さんお母さんには、心の中だけでも「会えてよかった」と思ってみてくださいね。
“あちらの世界”で暮らしておられるお父さんお母さんには、近況報告をなさってみてください。
不思議なくらい、心が落ち着きますからね。
親子の縁は、どちらかがこの世にいる間中続きます。
戦国時代の親子の縁は、今とは随分と違う気もします。
戦国時代といえば、人気が高い織田信長を思い出します。
1582年6月2日午前6時頃、
信長は本能寺で、何を思っていたのだろうか。
「人間50年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり」という幸若舞の敦盛の文そのままに、49年の生涯を終えた織田信長。
私ね。以前にも書いたのですが、信長は本能寺では亡くなってはおらず、堺から海外へ脱出したと思い込んでいるのです。
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思う~、気がする~、ネットに書いていたから~


自分で火を発し、燃え盛る殿中に於いて内側から戸口を閉ざし、信長はその場に座り込み自刃した、とは思いたくないのです。
本能寺の異変を知った嫡男の信忠は、奮戦後の午前10時頃、ついに力尽きて自刃して果てたと言います。