松原照子世見
2021年8月7日(土)
小江戸、川越
旅に出掛けるのが自由だった頃が懐かしい。
海外旅行が気軽にできなくなったのは実に残念です。
新型コロナウイルスは、多くのことを私達に学ばせました。
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?
予知能力者ですよね?
ニュース感想文ばかりですが、そろそろコロナの発生源を書いてもらえませんか?
不思議な世界の方々はなぜ、だんまりなのでしょうか?
地球を救う役目を松原照子氏に与えるために現れているのですよね?
ピンチですよ?
でもね。
クヨクヨしたって仕方がありません。
前だけを見て、元気よく、明るく、逞しく生きて行かないと、人生を楽しめません。
今日はネ。
ご存知の方も、そうでない方も、埼玉県の川越に思いを馳せてください。
蔵の町として知られる川越は“小江戸”とも呼ばれています。
江戸との交易により、商業の街として発展したのも川越です。
発展の理由は、川越の地理的位置にありました。
川越は有名大名が藩主を務め、石高も右肩上がりだったようですよ。
今も1日4回鐘を鳴らす「時の鐘」。
この時の鐘は、今から約400年前、藩主だった酒井忠勝が創建した、木造3層 約16mの高さの塔で、今も城下町の風情が残るこの街のシンボルになっています。一度は目にして欲しいと思います。
川越は、荒川と入間川が合流する地点で、軍事・交通の要衝でもありました。
この地に最初に築城したのが、あの太田道灌親子。
太田道灌といえば、江戸城を築いたことでも有名です。
川越は江戸時代に大きく発展した城下町で、徳川家康が関東に領地替えとなった時、家臣の酒井重忠に川越一万石を与えました。家康の思い入れが大きく、防衛ラインの一角を担ったのが川越でした。
江戸時代、度々川越は大火に遭いました。
大火で城下町の3分の1も焼失したというのですから、復興は大変だったことでしょう。
何度訪れてもホッとする町、川越。
一度足を運んでみては如何でしょうか