日記
必需品
こうして原稿を書く時に、私にはなくてはならない品が7つあります。
原稿用紙(横書)、鉛筆(シャーペン)、消しゴム、CASIOの辞典、メガネ、コーヒー、そして音楽です。
ありがたいことに、メガネはこの年齢になってもかけなくても見えるのですが、長い時間は少しかすむので使用しています。
コーヒーも飲みながらだと頭がスッキリとします。
音楽はクラシック。山形由美さんのフルートも中々良き音色で原稿が書きやすいです。
一息つく時には、真田ナオキさんの歌を聴いたりもします。
彼の歌声は私の気力をアップさせてくれるので、とても嬉しいのです。
あなたもお気に入りの品々と語り合ってみませんか。
私ね。
いつも話し掛けるのです。
するとね。
消しゴムさんは「小さくなっても最後まで使ってね」と言ってくれますし、原稿用紙は“頑張れエール”をくれたりもします。
松原照子世見
2021年6月11日(金)
平城京
奈良に都がおかれていた70年あまりを奈良時代と言います。
唐の都、長安にならって造られた奈良の都。
この都は朱雀大路を中心に広い道が碁盤の目のように通り、北側には天皇の御殿や役所が色鮮やかに建ち並んでいます。
平城京跡からは、数万点にのぼる木の札が発掘されています。
この木の札のおかげで、奈良時代の人々の暮らしを知ることが出来たのです。
今日はね、コロナ禍で中々旅行に行けないので、奈良に旅した気分になってもらいたいと思い、奈良のことを書いてみたくなりました。
「青丹(あおに)よし 奈良の都は咲く花の にほふがごとく 今さかりなり」
万葉集にこのように詠われた様に、青い瓦に白い壁、朱の柱という役所や貴族の屋敷、寺院などは長安をモデルにしたというのですからご覧になると、奈良にいながら長安にお出掛けした気分になることでしょう。
赤や青で彩られた朱雀門や羅城門なども、唐の長安に負けない都造りの意気込みを感じます。
でもね。
唐の長安とは全く違うのが、城壁です。長安では都の周囲は城壁で囲まれていますが、平城京はその城壁がありません。
中国では、モンゴル高原などから侵入して来る外部の勢力を防ぐために、都を城壁で囲む必要があったのですが、日本ではその必要がありません。
平城京の人口は20万人と推定されています。
平城京には外国人もやって来ていました。
最も多くの人がやって来たのが新羅人でした。
次に多かったのが中国東北部にあった国、渤海(ぼっかい)人。又、インド人、ペルシャ人、東南アジア人もやって来ていました。