キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キは
(よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理わかるであろがな。

喜びは神
キは神
気を付けよ 気配り 心配り
息→いき→はじめの気
いき、息、息気、生き、活き、粋、
「意」は「音」と「心」を合わせた字です。 ... その「音」が何を意味するのか、その「心」をおしはかるので「おしはかる」が「意」の意味です。 「音」は神の訪れですので、もともとは神様の意思、「神意」を「おしはかる」ことの意味でした。
祈る→意を乗せる
考えること、意志すること、行為することの根本は、肉体からではない。霊的な内奥の自分からである。この内奥の自分は、神につながっている。
心のモトはキ。キから生まれている。
神から生まれている。
秘密の仕組み→火水の仕組み→一二三の仕組み
火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ。それを一二三と云ふぞ、一二三とは一二三と云ふ事ぞ、言波ぞ。言霊(コトタマ)ぞ、祓ひぞ、
ぞ。スサナルの仕組ぞ。成り成る言葉ぞ、今の三み一たいは三み三たいぞ。一(ひ)とあらはれて二三(ふみ)かくれよ。

玉とは御魂(おんたま)ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ、これを三種(みくさ)の神宝(かむたから)と申すぞ。
口と心と行 三つ揃って命
言波、光透波、九十波、コトバは神
今は玉がなくなってゐるのぞ、鏡と剣だけぞ、それで世が治まると思うてゐるが、肝腎の真中ないぞ、それでちりちりばらばらぞ。
二は一となり、三を生み出す。
これを愛と信の結合、または結婚とも称えられている。三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。新しき生命とは新しき歓喜である
火と水で火水→十→神
三の道、産道、参道、和の道、調和の道
鳥居の鳥は十理→神のみち
日本は秘のモトの国
日本語に隠された秘文 一二三
神の答は字に有り。
読(黄泉)の岩戸(言答)開くなり。
答→こたえ、とう→十(とう)→神
日の本の国を取ろうとしても何とだましても御先祖様には何も彼も世の元からの仕組みしてこの事判っているのであるから、悪のやり方よ、早う善にまつろへよ、まつろへば悪も善の花咲くのぢゃぞ。
神は人民には見へん、たよりないものであるが、たよりないのが、たよりになるのであるぞ。
此の世乱した者が、此の世を直さねばならんのざぞ、この道理判るであろがな、建直しの御用に使ふ身魂は此の世乱した神々様であるぞよ。秘密は秘密でないぞ、火水であるぞ、明らかな光であるぞ、火水(ひみず)のマコトを悪神にたぶらかされて判らなくなったから、秘密となったのであるぞ、秘密は必ず現はれて来るぞ
友つくれよ、友つくることは己つくることぞ。広めることぞ。己を友の心の中に入れることぞ。皆われの目的たてに来てゐるぞ。それでは思惑たたんぞ。御光が愛ぞ。真ぞ。愛はマぞ。真は言ぞ。これを誠と云うぞ。誠は生きてゐるぞ。三千世界の生命ぞ。和つくれ。和はむすびぞ。何も彼も生れるぞ。いきするぞ。