松原照子世見
2021年6月3日(木)
アメリカのインディアン
歴史が動く時、人も動く。
北米大陸は、農耕と狩猟で生きるインデァアンの土地でした。
1605年5月、今はアメリカ合衆国バージニア州になっているジェームズ川左岸にある小さな島に、三隻の帆船が着きました。
ロンドンの会社が送り込んだ105人の男達が船から降り立ちます。
105人の男達は鬱蒼と樹木が茂ったこの島を、王の名にちなんでジェームスタウンと名付けました。
イギリス人がここを“バージニア”と呼んだのは、植民地をつくろうとして失敗したイギリスのウォルター・ローリーが、時の独身女王エリザベス一世の名をもじったことからだそうです。
105人いた男達は食料の欠品などから病気に罹り、二年後には38人しか生き残れなかったのです。
この大陸には遠い昔から住んでいた人達がいました。
15世紀末にやって来たコロンブスに“インド人(インディオ)”と呼ばれたインディアン達です。
南北アメリカ大陸には、当時約1,500万人の人達がいたと言われています。
その内の北アメリカには、100万~300万人が住んでいたのです。
約500部族、言語は50以上ありました。
皆、平和な生活を送っていたのです。
彼らは、魚も、鹿も、野牛も、必要以上には獲りませんでした。
バージニアとかジェームスタウンと勝手に名付けて入り込んで来た白人が、小屋を建てたり、土地や食糧を盗んだりすることにインディアンは憤慨したものの、白人には好意的であったと言われます。
やがて、白人青年とインディアンの娘との“ラブ”も誕生しました。
祝福として、インディアンは植民者にタバコのプレゼントまでしたのです。
タバコ栽培を始めた植民者は、そのタバコを本国に送り富を得たのです。
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インディアン戦争(インディアンせんそう、英: Indian Wars)は、1622年から1890年の間の、アメリカ合衆国とカナダで白人入植者(インディアンが呼ぶところのwhite man)とインディアンの間で起きた戦争の総称。初期のころからインディアンと白人入植者の小競り合いが続いていたが、白人入植者の増加とともに列強による植民地戦争とも絡みながら、大規模化していった北米植民地戦争、民族浄化、集団殺害である。
今も昔も人間達は同じ事をやり続けています…
日本へも移民が増え続けていますね…